2020年1月1日水曜日

2020元旦 朝日新聞記事から

元旦の新聞は毎年、分厚くてドッシリと重い。しかし、記事の全てが重いわけではない。そんな中で二つの記事に目がとまった。まずはユダヤ人女性とアラブ人男性の結婚にまつわる話。ユダヤ教とイスラム教の異なる宗教者間の結婚である。興味のある方には一読に値すると思うので、以下にコピーを載せておきます。
                  

二番目は朝日賞を受賞した二人のDNA研究の最前線にわたしは興味があり、その朝日賞の内の二人の記事をここに載せておきます。


DNAは1953年にクリックとワトソンとう二人の生物科学者によって発見された。その後、世界中の科学者たちによる研究が急速に進み、DNAには、おおざっぱに言えば、四文字の組み合わせで、情報を書き込んだ設計図情報があり、その情報を読むめの言語を作る情報も書き込まれている。そこに書かれた設計図情報にアクセスし、再配列し、コピーし、翻訳することにより、必要な化学物質が集められ、人は人に、犬は犬に、猫は猫に、ぞうはぞうに生成される。この遺伝子の働きにより、植物も含む、地球上のあらゆる生命体が生み出され、地球上に広がったのだ。
偶然に偶然が無限に重なっても、言語情報を持たない単なる物質からは、いのち情報、言語化された遺伝子は出来ない。
言語の背後には、必ず意思と目的を持った知性がある。
たとえばモールツ信号でも、短点と長点、そして区切り(スペース)の三文字の組み合わせで、言葉情報を伝えられる。
また、アルファベット26文字の組み合わせでは40万語以上の単語を構成して、情報を伝えられる。
DNAは言語に相当するとの証拠がある。ヌクレオチドと呼ばれる4つの基礎単位(文字)が組み合わさって20ものアミノ酸の記号体系になる。これらのアミノ酸から身体は10万以上ものたんぱく質を形成する。このようにDNAは言語のあらゆる特性を帯びている。

現代の生物科学者は、この言語情報を持つDNA生命の背後に、知性があることを、誰も否定できなくなっている。
なぜなら、言語は知性からしか生まれず、いのち情報は言語からしか得られないからである。
この意味で、「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」とのヨハネ福音書1章1節の聖書のことばは真実であると言える。

2019年12月26日木曜日

野生のたぬきに遭遇

                  
信仰の恩師である中箕輪の那須野さん宅を訪問した。ぼくは幼いころから「えみやのおじさんおばさん」と呼んできた、そのおじさん、おばさんは、すでに103歳と99歳でキリスト教信仰を全うして、天に召された。その二つの葬儀はぼくがさせていただいた。昔ながらの田畑の広がる風景の中にポツンと建った懐かしい家の玄関先に出迎えてくれたのは82歳になる長男の正道さんだった。

ぼくが年八回ほど発行している「教会ニュース」の初冬号と年末年始号の二通を入れた封筒を差し出すと、よろこんで受け取ってくれた。

その帰り、高い送電鉄塔の下の小さなスペースに車をとめて、懐かしい風景の草道を犬たちと散歩した。森近くの畑に古い小屋かあり、その前でロッキーとクララが、何かを見つけたらしく、近づき身を低くしていた。そして「ギャー」という攻撃的な鋭い声を聞いた。
最初は野良猫かと思ったが、にらみ合っている直ぐ近くに行って見ると、ちょうど猫くらいのやせたたぬきであることが、分かった。

犬たちは鼻をひくひくさせていた。ぼくの「だめだよ」の声で犬たちは身を引いた。そのたぬきはくびれた胴体の背中とたぬき特有の頭と耳の後ろを見せて、ゆっくりと小屋の中へ姿を消した。

近くには密集した森があり、小さな畑にはキャベツや白菜、大根などの残りが植わっていた。たぬきは雑食だから、これからの厳しい冬も、何とか生き延びてほしいなーと思いながら、小屋に向って「頑張れよ」と小さく声をかけ、犬たちとそこを後にした。

野生のたぬきをこんなに間近で見たのは初めての事である。みんなみんな一生懸命生きているのだ。野良犬や野良猫もそうだ。
      注)写真はネット上でお借りした野生のたぬきです。






2019年12月14日土曜日

ながーい5分 みじかい5分、そしておまけが

                     

早くも12月の中旬となりました。あと二週間ほどで主の年2019年は終わり、2020年へと地球は回ります。夜空にポッカリと浮かんだ昨夜の冴えわたる月は、安曇野の寒気の夜空で見事に輝いていました。
満月を二日ほど過ぎた月でしたが、真夜中に窓から外の明るさに気づき外へ出てみると、「オー!」ほぼ真上に満月があった。地球に届く光はキラキラと寒気の中で輝いていました。何だかいいことがありそうでワクワクしました。

伊那の自宅は以前からありますが、ようやく教会事務室にも念願の光ファイバーを設置することになりました、これでいつでもネットが出来るようになります。ルーターでWFも飛ばすので、スマホも使い放題。うれしいですね。ぼくの受け取るうれしいクリスマスプレゼントと言えます。

それが17日(火)、その前日の16日(月)は、年内最後の歯のメンテナンスに、そして22日(日)のクリスマス礼拝と祝会など、少し予定が立て混みます。

そして、このプログ更新も安曇野図書館で、やっていますが、図書館で目にしたのが「なが~い5分、みじかい5分」の絵本です。一読してなるほどなと思いましたね。

同じ5分でも、気がせいて待たされる5分と、楽しい時間では、時の流れる速度が違うように感じますね。

そしてこの絵本の最後、楽しい時間のタイムリミットが来て、「じゃあ、おまけの5分をあげましょう」と言われたら、寝る前に母親に絵本を読んでもらっていた子は、とっても得をしたように、幸せな気分になるに違いありません。

さあ、あなたなら、おまけの五分をどんな時に追加してもらえたら幸せでしょうか?いろいろと考えさせられる、気忙しい暮れにピッタリの絵本です。




2019年12月3日火曜日

師走となりました。

                  
日本では、12月の年の瀬をいつの頃からか「師走」と言うようです。しかし、牧師も師走の「師」の一つなら、このわたしも走り回る忙しい人間の一人なのでしょうが、特にわたし自身に関しては、犬たちと自然の中を日々歩き回ってはいるが、心を亡くした状態で走り回ってはいないし、特に忙しいわけでもない。
この「忙しい」の漢字は、心を亡くしている状態を表す字体です。しかし、年の瀬が迫ったからと言って心を亡くして、やみくもに走り回っていてはいけません。
世間から「師」、「教師」、「先生」と呼ばれるのなら、なおさら心を乱し、亡くしてしまうようであってはいけないとわたしは思いますね。

まあ、クリスマスとか年越しそばとか、いろいろあるけれど、大晦日が終わっても、日々次の新しい日が来るわけで、赤毛のアン風に言うなら、まだ失敗していない、真っ新な新しい朝が、一日が待っているのです。だから大晦日でこの世が終わるわけではない。
しかし、本当のこの世の終わり、終末の時は、そう遠くない日に来るかもしれません。聖書は預言しています。まず「携挙」が起こります。教会が天に挙げられる日です。この「携挙」について、おもしろい本が二冊、いずれも電子書籍(kindle版)で、試し読みをして、今回は購入した。
この年の瀬から新年にかけて、読める時に読もうと思う。わたしたちは、何に備えなければならないかを、聖書に聞くことは、とても大切だと思う。
                     

2019年11月14日木曜日

いじわるブッチー

               

子どもが地面に転び、泣き出すと、近くにいた母親や兄弟が痛い所をさすったりして、「いたいのいたいの、飛んでケー!」と言う。すると不思議に泣き止む。
こんなことが、我が子たち五人が小さい頃に、また幼稚園長時代に、ぼくはよく出合った。

ぼく自身、時折り足の親指などを固い角にぶつけ、「うーっ」とうなり、泣きそうなほど痛い時があると、片足ケンケンジャンプなどして、「痛いの 飛んでケー」と半泣きで言うこともある。

この絵本「いじわるブッチー」のブッチーは顔つきからして、いじわるな子である。ところが、このブッチーの母親と、このブッチーのいじわるにいつも悩まされている女の子の母親はとても仲が良いのだ。

だからいじわるブッチーは、母親といつも遊びに来る。そしていつものようにいじわるをするのだ。そこでいじわるをされる女の子は、いっそうのことブッチーはロケットに乗せて、どこかの星へ行ったらいいのにと考える。いやー、そういう人っているかもねー!

ああゆうやつは、何万光年も彼方の星へ行ってくれないかなーなんてね。そんな絵本です。絵本というと「良いこの絵本」が多い中、これは図書館で目にした、いじわるっ子の絵本です。めずらしい絵本です。

2019年10月22日火曜日

ユダヤ人を命がけで救った人々

                    

安曇野図書館の新刊本コーナーで目にして借りて来たのがこの本である。

1997年にサイマル出版会から刊行された『思いやる勇気―ユダヤ人をホロコーストから救った人びと』を復刊したもの。

ナチスから迫害されたユダヤ人を助けた人として、杉原千畝、オスカー・シンドラー、ラウル・ワレンバーグが有名であるが、本書に登場するのは基本的には、例えばフランスの農村の人だったりする。無名の多くの人々の証言が記録されている。助けたことを知られれば殺されるのに、ユダヤ人を助け、食べ物を分け与えたりしたヨーロッパの各国の勇気ある人々は、人間らしい心を、困難な状況下でも失うことなく、暗黒の中に一条の希望の光を放っている。

そんな中に、プロテスタント教会の牧師なども含まれていた。ユダヤ教徒をキリスト教に改宗させようなどの下心はなかった。聖書の社会観は「同胞が傷つき、苦しみ、虐待されているとき、黙って傍観していてはいけない」という原則に支配されている。しかし、祭司職の中には密告した者もいた。

しかし、驚くのはユダヤ人たちに救いの手を差し伸べた多くは、ごく“普通の人”だったこと。出来ることを注意深くしただけだった。目の前にいる人が窮地に立たされていることを知った時、手を差し伸べずにはいられなかったのだ。本書を読む限り、彼らの意識のなかでは、ユダヤ人を助けることは、我が兄弟たちを助けることだったのだ。

「そうしないではいられなかった」との言葉や「人として当たり前のことをしただけ」の言葉は、尊い誰かに背を押されて出た言葉であり、行為であったと感じるのはわたしだけだろうか。

本書 ホロコーストの意味のページでエリ・ウィーゼルが記している中から一文を載せておきたい。
【覚えてほしい。人命を救うのは難しい事ではないのだ。見捨てられた子どもに情けをかけるのに、雄々しくなる必要も夢中になる必要もなかった。ただドアを開けるだけ、パン一つ、シャツ一枚、硬貨一枚、投げてやるだけでよかった。同情するだけで】。

                   

一読をお薦めしたい。

2019年10月16日水曜日

PAUL apostle of Christ

                      

DVDを借りるのは久しぶりのことだが、映画「パウロ」をDVDで観た。何度も目頭が熱くなった。前から気になっていた映画だったが、やはり借りて来てよかった。聖書に親しんでいる者には、新約聖書に収められているパウロ書簡についての知識があると思う。

この映画の中でのパウロの言葉は、すべて彼の書簡に収められている真理のことばであり、その多くを筆記したのがギリシャ人キリスト者ルカである。ルカは医者であり、ローマのネロ皇帝下での迫害下で医師としても使命を果たす。この医者ルカを助手的に支えたのがアキラスとプリスカであり、その様子も描いている。


内容概要…【紀元67年、ローマの街を大火事が襲った。
皇帝ネロはキリスト教徒による放火とし、首謀者としてタルソのサウロ(別の名をパウロ)を逮捕した。
牢獄に入れられたパウロを医者ルカが訪ね、ルカはパウロの言葉を書き記していく。
ネロの迫害は激しさを増し、アキラとプリスカにかくまわれているキリスト教徒の中には、剣を取ってローマ軍に立ち向かおうとする者もいた。
そんな彼らに、パウロは暴力ではなく愛をもって戦えと訴える。
捕らえられ、殉教していった弟子たちに続き、パウロにも運命の時が迫る】
この映画では、パウロはネロ皇帝の元、ローマの街に火をつけた大火事の首謀者として捕らえられ、最後は斬首されたとの立場で描かれている。
ぜひ皆さんにも観ていただきたいと思う。

日本キリスト教会 豊科教会 牧師丸山文雅

 〇豊科教会の礼拝は 日曜日午前10時15分からです。 〇礼拝前の9時45分~から30分間は、讃美歌をたくさん歌います。 〇どなたも自由に出席ください。場所はJR大糸線の豊科駅のすぐそばです。徒歩一分。 駐車場は広い庭をご利用下さい。礼拝が終わるのは11時前後です。礼拝後は、お茶...