2019年12月26日木曜日

野生のたぬきに遭遇

                  
信仰の恩師である中箕輪の那須野さん宅を訪問した。ぼくは幼いころから「えみやのおじさんおばさん」と呼んできた、そのおじさん、おばさんは、すでに103歳と99歳でキリスト教信仰を全うして、天に召された。その二つの葬儀はぼくがさせていただいた。昔ながらの田畑の広がる風景の中にポツンと建った懐かしい家の玄関先に出迎えてくれたのは82歳になる長男の正道さんだった。

ぼくが年八回ほど発行している「教会ニュース」の初冬号と年末年始号の二通を入れた封筒を差し出すと、よろこんで受け取ってくれた。

その帰り、高い送電鉄塔の下の小さなスペースに車をとめて、懐かしい風景の草道を犬たちと散歩した。森近くの畑に古い小屋かあり、その前でロッキーとクララが、何かを見つけたらしく、近づき身を低くしていた。そして「ギャー」という攻撃的な鋭い声を聞いた。
最初は野良猫かと思ったが、にらみ合っている直ぐ近くに行って見ると、ちょうど猫くらいのやせたたぬきであることが、分かった。

犬たちは鼻をひくひくさせていた。ぼくの「だめだよ」の声で犬たちは身を引いた。そのたぬきはくびれた胴体の背中とたぬき特有の頭と耳の後ろを見せて、ゆっくりと小屋の中へ姿を消した。

近くには密集した森があり、小さな畑にはキャベツや白菜、大根などの残りが植わっていた。たぬきは雑食だから、これからの厳しい冬も、何とか生き延びてほしいなーと思いながら、小屋に向って「頑張れよ」と小さく声をかけ、犬たちとそこを後にした。

野生のたぬきをこんなに間近で見たのは初めての事である。みんなみんな一生懸命生きているのだ。野良犬や野良猫もそうだ。
      注)写真はネット上でお借りした野生のたぬきです。






2019年12月14日土曜日

ながーい5分 みじかい5分、そしておまけが

                     

早くも12月の中旬となりました。あと二週間ほどで主の年2019年は終わり、2020年へと地球は回ります。夜空にポッカリと浮かんだ昨夜の冴えわたる月は、安曇野の寒気の夜空で見事に輝いていました。
満月を二日ほど過ぎた月でしたが、真夜中に窓から外の明るさに気づき外へ出てみると、「オー!」ほぼ真上に満月があった。地球に届く光はキラキラと寒気の中で輝いていました。何だかいいことがありそうでワクワクしました。

伊那の自宅は以前からありますが、ようやく教会事務室にも念願の光ファイバーを設置することになりました、これでいつでもネットが出来るようになります。ルーターでWFも飛ばすので、スマホも使い放題。うれしいですね。ぼくの受け取るうれしいクリスマスプレゼントと言えます。

それが17日(火)、その前日の16日(月)は、年内最後の歯のメンテナンスに、そして22日(日)のクリスマス礼拝と祝会など、少し予定が立て混みます。

そして、このプログ更新も安曇野図書館で、やっていますが、図書館で目にしたのが「なが~い5分、みじかい5分」の絵本です。一読してなるほどなと思いましたね。

同じ5分でも、気がせいて待たされる5分と、楽しい時間では、時の流れる速度が違うように感じますね。

そしてこの絵本の最後、楽しい時間のタイムリミットが来て、「じゃあ、おまけの5分をあげましょう」と言われたら、寝る前に母親に絵本を読んでもらっていた子は、とっても得をしたように、幸せな気分になるに違いありません。

さあ、あなたなら、おまけの五分をどんな時に追加してもらえたら幸せでしょうか?いろいろと考えさせられる、気忙しい暮れにピッタリの絵本です。




2019年12月3日火曜日

師走となりました。

                  
日本では、12月の年の瀬をいつの頃からか「師走」と言うようです。しかし、牧師も師走の「師」の一つなら、このわたしも走り回る忙しい人間の一人なのでしょうが、特にわたし自身に関しては、犬たちと自然の中を日々歩き回ってはいるが、心を亡くした状態で走り回ってはいないし、特に忙しいわけでもない。
この「忙しい」の漢字は、心を亡くしている状態を表す字体です。しかし、年の瀬が迫ったからと言って心を亡くして、やみくもに走り回っていてはいけません。
世間から「師」、「教師」、「先生」と呼ばれるのなら、なおさら心を乱し、亡くしてしまうようであってはいけないとわたしは思いますね。

まあ、クリスマスとか年越しそばとか、いろいろあるけれど、大晦日が終わっても、日々次の新しい日が来るわけで、赤毛のアン風に言うなら、まだ失敗していない、真っ新な新しい朝が、一日が待っているのです。だから大晦日でこの世が終わるわけではない。
しかし、本当のこの世の終わり、終末の時は、そう遠くない日に来るかもしれません。聖書は預言しています。まず「携挙」が起こります。教会が天に挙げられる日です。この「携挙」について、おもしろい本が二冊、いずれも電子書籍(kindle版)で、試し読みをして、今回は購入した。
この年の瀬から新年にかけて、読める時に読もうと思う。わたしたちは、何に備えなければならないかを、聖書に聞くことは、とても大切だと思う。
                     

2019年11月14日木曜日

いじわるブッチー

               

子どもが地面に転び、泣き出すと、近くにいた母親や兄弟が痛い所をさすったりして、「いたいのいたいの、飛んでケー!」と言う。すると不思議に泣き止む。
こんなことが、我が子たち五人が小さい頃に、また幼稚園長時代に、ぼくはよく出合った。

ぼく自身、時折り足の親指などを固い角にぶつけ、「うーっ」とうなり、泣きそうなほど痛い時があると、片足ケンケンジャンプなどして、「痛いの 飛んでケー」と半泣きで言うこともある。

この絵本「いじわるブッチー」のブッチーは顔つきからして、いじわるな子である。ところが、このブッチーの母親と、このブッチーのいじわるにいつも悩まされている女の子の母親はとても仲が良いのだ。

だからいじわるブッチーは、母親といつも遊びに来る。そしていつものようにいじわるをするのだ。そこでいじわるをされる女の子は、いっそうのことブッチーはロケットに乗せて、どこかの星へ行ったらいいのにと考える。いやー、そういう人っているかもねー!

ああゆうやつは、何万光年も彼方の星へ行ってくれないかなーなんてね。そんな絵本です。絵本というと「良いこの絵本」が多い中、これは図書館で目にした、いじわるっ子の絵本です。めずらしい絵本です。

2019年10月22日火曜日

ユダヤ人を命がけで救った人々

                    

安曇野図書館の新刊本コーナーで目にして借りて来たのがこの本である。

1997年にサイマル出版会から刊行された『思いやる勇気―ユダヤ人をホロコーストから救った人びと』を復刊したもの。

ナチスから迫害されたユダヤ人を助けた人として、杉原千畝、オスカー・シンドラー、ラウル・ワレンバーグが有名であるが、本書に登場するのは基本的には、例えばフランスの農村の人だったりする。無名の多くの人々の証言が記録されている。助けたことを知られれば殺されるのに、ユダヤ人を助け、食べ物を分け与えたりしたヨーロッパの各国の勇気ある人々は、人間らしい心を、困難な状況下でも失うことなく、暗黒の中に一条の希望の光を放っている。

そんな中に、プロテスタント教会の牧師なども含まれていた。ユダヤ教徒をキリスト教に改宗させようなどの下心はなかった。聖書の社会観は「同胞が傷つき、苦しみ、虐待されているとき、黙って傍観していてはいけない」という原則に支配されている。しかし、祭司職の中には密告した者もいた。

しかし、驚くのはユダヤ人たちに救いの手を差し伸べた多くは、ごく“普通の人”だったこと。出来ることを注意深くしただけだった。目の前にいる人が窮地に立たされていることを知った時、手を差し伸べずにはいられなかったのだ。本書を読む限り、彼らの意識のなかでは、ユダヤ人を助けることは、我が兄弟たちを助けることだったのだ。

「そうしないではいられなかった」との言葉や「人として当たり前のことをしただけ」の言葉は、尊い誰かに背を押されて出た言葉であり、行為であったと感じるのはわたしだけだろうか。

本書 ホロコーストの意味のページでエリ・ウィーゼルが記している中から一文を載せておきたい。
【覚えてほしい。人命を救うのは難しい事ではないのだ。見捨てられた子どもに情けをかけるのに、雄々しくなる必要も夢中になる必要もなかった。ただドアを開けるだけ、パン一つ、シャツ一枚、硬貨一枚、投げてやるだけでよかった。同情するだけで】。

                   

一読をお薦めしたい。

2019年10月16日水曜日

PAUL apostle of Christ

                      

DVDを借りるのは久しぶりのことだが、映画「パウロ」をDVDで観た。何度も目頭が熱くなった。前から気になっていた映画だったが、やはり借りて来てよかった。聖書に親しんでいる者には、新約聖書に収められているパウロ書簡についての知識があると思う。

この映画の中でのパウロの言葉は、すべて彼の書簡に収められている真理のことばであり、その多くを筆記したのがギリシャ人キリスト者ルカである。ルカは医者であり、ローマのネロ皇帝下での迫害下で医師としても使命を果たす。この医者ルカを助手的に支えたのがアキラスとプリスカであり、その様子も描いている。


内容概要…【紀元67年、ローマの街を大火事が襲った。
皇帝ネロはキリスト教徒による放火とし、首謀者としてタルソのサウロ(別の名をパウロ)を逮捕した。
牢獄に入れられたパウロを医者ルカが訪ね、ルカはパウロの言葉を書き記していく。
ネロの迫害は激しさを増し、アキラとプリスカにかくまわれているキリスト教徒の中には、剣を取ってローマ軍に立ち向かおうとする者もいた。
そんな彼らに、パウロは暴力ではなく愛をもって戦えと訴える。
捕らえられ、殉教していった弟子たちに続き、パウロにも運命の時が迫る】
この映画では、パウロはネロ皇帝の元、ローマの街に火をつけた大火事の首謀者として捕らえられ、最後は斬首されたとの立場で描かれている。
ぜひ皆さんにも観ていただきたいと思う。

2019年10月2日水曜日

一枚のメモメッセージ

                   
やや暑かった一日の終わり、暮れて行く窓の外にまだきれいに咲いている花壇の色鮮やかな花々を見ていた。この春先に庭に来る蝶たちのことを思って植えた。

少し奥の方に目をやると、紫の小さな花をいっぱいつけたファーブも目に入った。昨年の11月頃だったろうか、庭の草刈りをしていて、このファーブをみんな刈ってしまった。その時小さな蜂が低く逃げていく姿に、ぼくは「しまった!」と思った。

庭には、その花しかなく、「逃げて行ったあの蜂は明日から他の場所で蜜を探さなくてはならないんだなー」と思った時、ぼくの心は後悔で悲しくなった。
それで、今年は何回かの草刈りでは、このハーブを決して刈らないで残しておいた、だいぶ増えて、良い香りを放っている。小さな蜂も時々姿を見せる。
このハーブは11月中旬頃まで小さな青紫の花をつけて、寒さにも強いようだ。そんなことを思っていた。

そして手元のスマホを手に取り、ヤフーの今日のニュース項目をザーっとスライドしながら見て行った。ふと目に留まったのが、ツイートに投稿した台湾の女性のものだった。以下に全文と写真を載せておきます。

大学生向け匿名掲示板「Dcard」に投稿された内容だ。ある女性がバスでアルバイトに向かっていた時だった。
家庭のことで落ち込んでいた女性は、音楽を聴きながら思わず泣いてしまったそうだ。他の乗客に変な目で見られていたのではないかと心配したが、バスを降りる際、見知らぬ男性からメモを渡されたという。

しかし泣き顔を見られないように急いで降りたため、相手の顔はよく見ず、軽く笑みを返しただけだった。
女性が仕事を始める前にメモを開いてみると、そこには励ましの言葉が書かれていた。
「私もよくバスで泣くことがあります。君が泣いているのを見て心が痛くなった。どんなことがあったとしても、きっと良くなるから! 傷ついてもいい。でも、その後は楽しく過ごそう。あなたに幸せが訪れますように」
これだけでも十分心温まるメッセージだが、女性はメモを裏返して、また泣きたくなってしまったという。それは心療内科の領収書で、男性の名前や年齢、処方された薬が記載されていた。処方されたのが睡眠薬や抗うつ剤だったことに感じ入った女性は、投稿の最後に「あなたもとても悲しんだことがあったのでしょう。傷ついてもいい。でもその後は楽しく過ごしましょう。ありがとう」と、メモをくれた見知らぬ男性へのメッセージを綴った。
心に傷を負う者同士の励まし合いに約29,000人のユーザーが感動。「ほっこりする」「いい人だ。頑張れ」「私もここからあなたの生活がどんどん良くなることを祈ってます」などのコメントが寄せられた。≫
このニュースにぼくも感動です。明日からの生活の力になります。そして寒さに向かうこれからの季節、小さな蜂さんたちも頑張ろう。ぼくも頑張る。                 

2019年9月30日月曜日

世界の始まり 創世記に学ぶ

                         

ヘンリー・M.モリス著「世界の始まり-創世記1-11章を科学から見る」をアマゾン経由で購入した。この本を知ったのはアメリカのJon Courson牧師の説教の中で紹介していたからである。
聖書の記述を文字通りに神の啓示の書として受け止める信仰に、わたしは聖書神学を深める中で持つようになっている。神学校時代は違った。学生の頃はドイツの神学者たちの神学書を読み、言わば自由主義神学の立場で、聖書のことばをとらえ、解釈学に走っていた。
しかし、ここ数年は日本ではファーベストタイムの中川健一牧師、そしてアメリカではpastor Jonの解説に共感することが多く、素直に聖書の御言葉に向き合うようになり、自分の信仰が急速に進んだように感じている。
そんな中で、科学から考察したモリス博士の書は、まだこれから読むことになるが、期待するところが多い。このブログで、要点を今後紹介できればと思っている。
                        
英語原本に以下のような紹介文がありました。
In The Genesis Record , the reader is conducted by a capable guide through the important corridors of earth's early history, providing the background so necessary in understanding all of Scripture.
創世記の記録は、創造論者の科学者によって書かれた創世記の完全な解説です。
重要な詩ごとの分析ではなく、物語の解説として書かれています(すべての重要な歴史的および科学的問題に関する議論は物語に織り込まれていますが)、 創世記の記録は神学的に訓練された人にも素人にも等しく有用です。
モリス博士は、創世記の最初の11章は残りの39章と同じくらい歴史があると確信しています。 この信念は、単に信仰だけでなく、創世記の科学的側面の長年の研究と、他の多くの科学者や神学者(創​​造論者と進化論者の両方)との意見交換に基づいています。創世記の記録では、読者は地球の初期の歴史の重要な回廊を通して有能なガイドによって行われ、聖書のすべてを理解するのに必要な背景を提供します。


2019年9月16日月曜日

彼の手はム語りつぐ

                   
安曇野図書館の外国の絵本コーナーで目にしたのが、この絵本「彼の手は語りつぐ Pink and Say 絵と文 Patorisia Polacco」である。

大型絵本であり絵もいい。この作品の舞台は、1861年~1865年に行われたアメリカの南北戦争です。おなじアメリカ人同士が血を流しあった戦争でした。

奴隷制度廃止をかかげる、リンカーン側の北軍に属した白人と黒人の少年兵の出会いから始まる実話が、子へそして孫娘へと語り継がれ、その語り継がれた内容を重視して文が書かれ、絵が描かれ一冊の絵本になった。

二人の少年は敵の南軍に捕らえられ、引き裂かれる時、白人少年セイの手を握ろうと、黒人少年セイは手を伸ばす、そのセイの手はリンカーンと握手したことの手でした。

この著者はぼくと同じ1944年に、ミシガン州ランシング生まれである。日曜礼拝の中で、子どもタイムで、みんなに読み聞かせしようと思っている。
                   



2019年8月24日土曜日

「大草原の小さな家」第12話「ジョーンズおじさんの鐘」/ The Voice of Tinker Jones

                 
まだ五人の我が子たちが幼かった時、古い教会の部屋で一緒に観ていたnhk「大草原の家」シリーズが、今度は土曜日の午前八時半かnhkBSで再放送されている。
今日は第12話「ジョーンズおじさんの鐘」だった。わたしには忘れられない話だった。

要点は「教会に鐘をつける話が持ち上がり、献金を募ることになります。ところがオルソン夫人が鐘を寄付すると言い出したことから騒ぎが起こります。と言うのも、その鐘には寄付者の名入りの額がつくというからです。信者達は賛成派、反対派に割れ、相談のために集会を開いても話はこじれるばかり。大人のいがみあいは子供たちまで影響し今までのように仲良く遊べなくなります……」。結末がなんともいい。

この話はぼくの中で生き続け、古くなった園舎、そして会堂を新しい現在の教会堂に建て替える時、卒園生に呼び掛けて、「こどもらの鐘」と名付けた鐘を会堂の玄関上の塔に付けることにしたのだ。

そして今、その鐘は毎週日曜日の礼拝を告げる鐘の音として、安曇野の空に響いている。そしてその時作った「子どもらの鐘」の讃美歌も会堂内に響いている。
                                                         

2019年8月12日月曜日

今年も日焼けで真っ黒の夏

                   
八月に入り青空と真っ白な巨大な入道雲の湧きあがる真夏日がやって来た。今年は梅雨の明けない七月は伊那では高遠のB&Gの室内プールで、安曇野では四賀村のやはりB&Gのプールで連日泳ぎ、少し最初から泳ぎ過ぎて筋肉痛が出て、夜によく眠れなくなり、七月二十六日に決めていた家族たちとの鯨波海岸の海水浴に、ぼくは行かずに犬たちと留守番することになった。
無理して行けないこともなかったが、行けば数キロは泳ぐことになり、ここは自制して夏の後半に泳力を蓄えたのだ。
そして数日ですっかり筋肉痛も治り、またまた毎日のプール通い。特に安曇野の穂高プールへは日曜日の礼拝後にも出掛け、泳ぎました。
犬のロッキーとは清流の中房川で気持ちよく泳ぎました。猛暑日になるとプールの水はぬるま湯のようになるが、中房川の清流は適度に冷たくて気持ちよく泳げます。
さあ、日本列島は「お盆」ということで、故郷や生家に人々が集まる時です。我が家はキリスト教ですから仏壇もなく、墓参りもしません。
そこで、我がファミリーは、みんなで駒ケ根の太田切川の清流へ川遊びに出かけます。焼き肉やスイカ持参です。犬たちももちろん参加。
しかし、今年も良く焼けたなー、鏡をのぞくたびに思います。
日曜礼拝では、週ごとに黒さを増す牧師であるぼくの顔を、「あー夏の礼拝だなー」と、庭の三本の桜の樹で猛烈に鳴く蝉の声と相まって感じているに違いありません。
                     

2019年7月23日火曜日

眠れぬ夜に藤沢周平作品二冊

                    
プールでの泳ぎ過ぎがたたり両足のふくらはぎから尻への付け根にかけて、強度の筋肉痛が起こり、一昨日の夜と昨日の夜はよく眠れていない。
そこで藤沢周平作品の中から、まだ読んでいなかった「静かな木」と「雪明り」の二冊を選び夜の静けさの中で、読了した。
正確にはユーチューブの朗読版に耳を傾け、寝床の中で、藤沢作品の情景描写に引き付けられ、まどろむことなく最後までイヤホーンで聞いてしまった。
「静かな木」はアマゾンの内容紹介には「藩の勘定方を退いてはや五年、孫左衛門もあと二年で還暦を迎える。城下の寺にたつ欅の大木に心ひかれた彼は、見あげるたびにわが身を重ね合せ、平穏であるべき老境の日々を想い描いていた。ところが……。舞台は東北の小藩、著者が数々の物語を紡ぎだしてきた、かの海坂。澹々としたなかに気迫あり、滑稽味もある練達の筆がとらえた人の世の哀歓。藤沢周平最晩年の境地を伝える作品」とあったが、大きな欅の木に自分の人生を重ね、また夕暮れて行く情景描写はさすがであると感じた。そして主人公に孫娘が誕生し、ついそちらの方へ足の向く情景が、同じ晩年を生きるぼくの心をとらえた。
「雪明り」の方も書き出しからして、雪が降り始める描写に引き込まれた。内容紹介には「貧しくも、明日への夢を持って健気に生きる女。深い心の闇を抱えて世間の片隅にうずくまる博徒。武家社会の終焉を予感する武士の慨嘆。立場、事情はさまざまでも、己の世界を懸命に生きる人々を、善人も、悪人も優しく見つめる著者の目が全編を貫き、巧みな構成と鮮やかな結末とあいまった魅惑の作品」とあった。
この筋肉痛は七日ほどに渡って、毎日ニキロほどを泳いだ結果であり、歳も考えずにオーバーワークであったのだ。ここ何日かは梅雨が明けたとしても泳ぎはひかえようと思っている。今朝は肩のあたりもやや痛む。家に置いてあった張り薬は、あちこちに何枚も張るので、終わってしまった。まあ、今よりひどくなったら医者に行って張り薬を補充しなければなるまい。薬局でまともに買ったらかなりの額になりそうだ。
しかし、筋肉痛のおかげで、深夜に藤沢周平作品に触れることが出来、これはこれで素晴らしい体験となっている。
                 


2019年7月13日土曜日

サリバン先生とヘレン

                  
安曇野市図書館から借りて来た「サリバン先生とヘレン」(光村教育図書)は的確な要約であり絵もいい。明日の教会礼拝で「子どもタイム」に教材として紹介しようと思っている。
この本の「はじめに」では概要が紹介されている。そして絵本の本文の方は、サリバン先生がヘレンの家を訪れた三日後から教育の内容を手紙につずり、サリバン先生が母親の様に慕うソフィア・C・ホプクンス夫人(サリバンがお世話になった盲学校の寮母)に宛てた内容を順次紹介しつつ記されている。

このサリバン先生とヘレンの講演をユーチューブで観られます。検索で「ヘレンケラーの肉声」と入力すると見られます(ライオンズクラブ国際大会でのスピーチ)。
この講演の中でヘレンケラーが発した「指言葉により、世界を知り、神を知ることが出来た」との言葉には感銘を受ける。
目が見えながら、聖書のイエスを見ず、耳が聞こえると言いながら、聖書の言葉に耳をかさない人々の何と多い日本であろう。ここにぼくの教会での使命がある。強く感じた。

闇の世界に救いの光が差し込み、ヘレンの魂は輝き始めたのです。ヨハネ福音書10章の生まれつき盲目であった男が、イエスによって癒された個所を礼拝で学んだばかりだったのでぼくは特に、感銘を受けた。もちろん以前からヘレンケラーについては知っていたし、井戸の冷たい水道水を手で受けた時、サリバン先生が指文字で知らせたwaterによってものには名前があることを知ったヘレンのことも知っていた。
しかし、改めてこの本は子どもから大人たちにぜひ一読をお薦めしたい。
                

2019年7月10日水曜日

ナチスの大虐殺から10万のユダヤ人を救ったスウェーデンの外交官

                  

昨日安曇野市図書館で目にして借りて来た「ワレンバーグ」Mニコルソン,Dウィナー著を昨夜の内に一気に読み終えた。


このワレンバーグのことを、ぼくはこの書を通して初めて知った。同じような働きをした海外駐在の外交官であった日本人の杉浦千畝は、リトアニアで1940年八月に、ビザと書類を英断によって発給し、約六千人のユダヤ人の命を救ったことは知っていた。

しかし、このワレンバーグの働きはさらなる驚きであり、感動する。終戦間際にソ連軍にドイツのスパイと間違われて逮捕され、それ以降の彼の消息はハッキリしない結末には、いろいろ考えさせられる。

だが、あの想像を絶する大虐殺から10万のユダヤ人を救った事実は残る。この本のタイトルにあるように「伝記 世界を変えた人々」の一人に違いない。
ぜひ、一人でも多くの人に一読をお薦めしたい。

この著書の85ページに、「ドイツ人たちが役人や権力者をとても尊重する傾向が強く、この当時の教育のあらゆる場で、権威をうやまうことをみっちりとしこまれていた」と記されています。

もう一点、終戦間際、彼はソビエト軍司令部に向かう。ユダヤ人たちの戦後支援の交渉に、スタッフたちの「危険だ!」という助言を振り切り、単身で出向いたのだ。ドイツの連中と交渉したのと同じスタイルで、多額の金と、宝石類、そして重要書類を大きなスーツケースに入れていたのだ。

33歳の若者の持つスツケースの中身を見て「こいつは、ドイツのスパイ」と思われたのだろう。

ソビエト人は「非常に疑り深い」という国民性を彼は見落としていたのではないだろうか。そうこの著者は書いている。

さて、日本人の国民性の特質はどうだろうか。みんながするからと、周囲の雰囲気に流される傾向が強いのではないだろうか。

                   

2019年6月24日月曜日

あきらめない 野口健のチャレンジ 若者よ読書をしよう!


「あきらめないこと、それが冒険だ」を安曇野市の図書館で目にして借りて来た。落ちこぼれだと感じて、落ち込んでいた時、彼が書店で目にした本が、植村直巳著「青春を山に賭けて」だった。そして野口の進路が決まった。幼少期から思春期、そして世界の野口となるまでの軌跡をかざらない文章で率直に書いた本であり感動した。
中学生、高校生などの自分の進路に悩む若者たちにお薦めの一冊である。植村直巳の「青春を山に賭けて」はすでにわたしは読んでおり、こちらもとてもいい。夏休みなど、何処かへ出かける時などバックに入れて、ぜひ読んでみましょう。スマホばかり見ていないで、時には読書の時間を持とう。

2019年6月10日月曜日

自殺者の脳の特質

<自殺者の脳は何が違うか──その知識を生かせば悲劇を未然に防げる?>

自らの命を絶つ前の週、ジェレミー・リッチマン(49)はフロリダ州のフロリダ・アトランティック大学で講演を行った。

テーマは「人間であることの脳科学」。脳科学を活用すれば、自分や他人を傷つけるリスクがある人に気付き、支援の手を差し伸べられる可能性がある──それが3月19日に行われた講演の趣旨だった。

聴衆の関心も高かったに違いない。この2日前、フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で昨年2月に起きた銃乱射事件の生存者の1人が自殺していた。数日後には、同じ高校の生徒がまた1人命を絶った。アメリカの自殺者は増加傾向にあり、17年には4万7000人に達した。

リッチマンは、このテーマにことのほか強い思い入れがあった。自らの悲しい経験があったのだ。12年12月14日、コネティカット州ニュータウンのサンディーフック小学校に20歳の男が押し入り、26人を殺害し、自らも命を絶った。この事件で殺害されたなかに、当時6歳の娘アビエルが含まれていたのだ。

リッチマンと妻のジェニファー・ヘンセルは事件後直ちに、娘を失った悲しみを行動に換えることを決意した。娘の名前を冠した財団を設立し、銃暴力を防ぐために脳科学の研究を支援し始めたのだ。薬学博士号を持つリッチマンは、製薬会社を辞めて財団の仕事に専念した。
「この研究では、被験者に30の単語を読み上げた。「精神疾患は特定の物事への考え方を変える」と、カーネギー・メロン大学認知脳画像センター所長で、心理学教授のマーセル・ジャストは指摘する。「強迫観念が強いと、『警察』という単語に異なる脳活性化パターンを示す。自殺願望の場合も特定の単語に対して同様のことが起きる」

機械学習アルゴリズムは6つの単語(「死」「残酷」「困難」「気楽」「よい」「称賛」)が引き起こす脳内パターンを見るだけで、自殺願望がある人を90%の確率で特定できると、ジャストとピッツバーグ大学公衆衛生大学院のデービッド・ブレント教授は突き止めた。

被験者が示した脳活性化パターンは体系的で明白だった。なかでも顕著だったのが、自殺願望がある場合、6つの単語が「自己言及」に関わる脳内領域をはるかに活性化させたこと。つまり、人によっては戦争などを連想するはずの「死」という単語は、自殺傾向がある人の場合は自己についての考察に関わる脳内領域を強く刺激する。

薬理学者であり、エール大学医学大学院の精神医学講師に就任予定だったリッチマンが、ジャストらの研究結果を知っていた可能性は高い。それでも彼は自殺した。

「知識が行動の変化につながるとは限らない」と、ブレントは語る。「彼は6歳のわが子を亡くした。家族を失った人は悲痛が和らがない場合、特に自殺リスクが高い。鬱や心的外傷後ストレス障害(PTSD)だったり、心の傷が癒えていなかったなら、そのどれもが自殺の引き金になり得た。優秀な学者だったという事実は無関係だ」

<Newsweek・2019年6月11日号掲載>からの要点 (注)algorithmアルゴリズム…コンピューターで計算を行うときの「計算方法」のことなんですが、広く考えれば、何か物事を行うときの「やり方」のことだと言っていいでしょう。

2019年6月7日金曜日

人工動態統計に見る未来

2019年6月7日「日本経済新聞」に載った記事の概要と表を以下に記しておきます。

厚生労働省が7日に発表した人口動態統計によると、2018年に生まれた子どもの数(出生数)は91万8397人で過去最低を更新した。3年連続で100万人を割った。1人の女性が生涯に産む子どもの数にあたる合計特殊出生率は1.42と、17年から0.01ポイント下がった。低下は3年連続だ。晩産化や結婚をしない人が増えている影響が大きい。」
ぼくが生まれた1944年(昭和19年)は中学生の時一クラス50人で九クラスあった。成人式の人数は200万人以上であった。まあ単純に人数が多ければいいとは言えないが、ぼくの少年時代、青年時代には未来への夢があり、現代より活気があったなあ。ぼくにとってはいい時代だったとハッキリ言える。そのぼくは、妻も元気で、子ども五人を育て終わり、今は孫七人のじいじである。一番上の孫は来年大学生になる歳だ。

聖書的に見ると、時代は増々悪くなるとぼくは見ている。この世に悪がさらにはびこる。しかし、希望は捨てていない。聖書の神の言葉に生きる者に絶望はない。
主イエスを信じる信仰によって、➀罪からの解放 ②悪魔の支配からの解放 ③死からの解放を約束されているからだ。罪許され義とされ、サタンのウソと誘惑を退け、死後に続く永遠の命を約束されているからだ(ヨハネ福音書8章)。
この福音を伝えるのが、ぼく(日本キリスト教団豊科教会牧師)としての使命である。




2019年5月28日火曜日

ジョン万次郎の生涯

                 
日曜礼拝に出席する幼児や小学生、それと中学生向けに、子どもタイムと称して礼拝の中で、初めに10分以内で絵本や伝記本を視聴覚教材にして、子どもたちに近づいた位置で語る時間を持っている。大人の方々もにこやかに聞いて下さる。
5月26日(日)は、伝記本「ジョン万次郎」を手に、その概略を紹介し、時代の風潮や人の目や耳を気にせず、自分の信じるところを誠実に生きた「ジョン万次郎」の生涯を語った。アメリカの牧師や大型漁船の船長や乗組員との素晴らしい出会い。鎖国政策を続けていた古く封建的な時代の日本人の心の狭さなどを打破して、新しい時代に向かった万次郎の勇気や誠実な言動などを語った。そうなんだ。わたしたちは天を見上げ、創造主なる方にのみ従う心こそが、真に新しい時代を切り開いて行くんだと教えられる伝記である。
鎖国が解かれ、サンフランシスコに向かった時の日本の艦船の実質的船長は勝海舟ではなくジョン万次郎であった。万次郎は日本語の読み書きも学んだことのない少年だった。英語も実生活の中で耳から学んだものだった。九歳で父親を失った貧しい漁夫の万次郎は14歳で初めて漁船に乗る。そして難破、無人島に流れ着いてからの数奇の運命。この伝記から学ぶことは多い。

2019年5月14日火曜日

梅雨入りを告げる天の声 雷鳴

                  
一週間振りに伊那高原の自宅へ帰って見ると、先週に植えていたプチトマトの三本の苗が完全に枯れていた。近隣の農家の方々も、夏日が続いた異常気象で今年は全て植えなおしとなる家が多いらしい。
我が家は庭の片隅の本当に小さなミニ菜園だからいいが、広範囲の畑では大変であろう。今年は少しの菜の花とネギがあるだけのミニ畑。その横に友人からもらった行者ニンニクのカブが三か所に植わっているが、これは枯れることはない。
心配なのは教会の庭のやはりミニ畑のことだった。
こちらには、普通トマト二本、プチトマトをそれぞれ二本ずつ。ツルムラサキを三本。それにキュウリを二本、それに二十日大根の種も蒔いた。シシトウも植えた。
これが全滅したら大変だ。伊那での眼科定期検診を終えたら水曜日には急いで安曇野へと思っていた時の突然の雷鳴。
しかし、少しばかりの雨にガッカリ。予報通り今日から明日にかけて本格的な雨量にならない時は、冬タイヤから普通タイヤに交換したら安曇野へ向かおうと思っている。
人間に水が必要なように、他の動植物にも欠かせないのが「水」である。
暑い夏が大好きわたしである。日中はギラギラと夏の太陽、青い空、白い雲、そして昔の様に夕方にはキッチリと雷雨が来てほしい。たのむよ!入道雲と雷さん。

2019年4月18日木曜日

ナナカラ山ものがたり

                 
これも安曇野市図書館から借りて来て読んだ絵本です。大型本で絵がとてもいい。ナナカラ山に住む動物たちの五つの物語が、この一冊で語られています。いちばんおもしろかったのは、流れ者のネコの話。
素晴らしい自然と素晴らしい動植物のいるナナカラ山に流れ着いた猫は、ここの素晴らしい水に感動します。
しかし、その水を大切にしないで、わがまま放題に無駄遣いして、他の動物たちに何回も注意されるのですが、こんなに水があるんだんらと、聞く耳を持ちません。
さあ、どうなる。水は全ての命を支える貴重なものです。大人も絵本を開き、五つの物語の世界へ旅してみましょう。
                    

2019年3月31日日曜日

図書館で出会った「ピアニストの兵隊さん」

                    
安曇野市図書館の新刊本コーナーで目にして借りて来ました。文も簡潔でいいが、カラーの当時を彷彿とさせる絵が実にいい。挿絵が多く、絵本に近いノンフィクションの本である。この本を書いたのは主人公絢子の娘博子さんである。この本の終わりに古畑絢子(旧姓金森)の残したうたがある。
兵なれば ピアノ弾く手に銃を持つ 敵も味方も 憐れ戦は
この本の著者古畑博子さんは松本市生まれ、ここ安曇野市でも教職にあった方で、親しみを持って一気に読みました。図書館には素敵な出会いを待っているたくさんの本がある。今回もいい出会いに感謝している。

2019年3月18日月曜日

絵本 One Morning in Maine

                

大型絵本日本語訳では「海辺のあさ」の原本英語版を安曇野市の図書館で目にして読んでみました。英語力のないわたしなので、スマホの翻訳アプリを利用しながら読みました。五歳とか六歳ごろに、こどもの歯から、大人の歯にぬけかわる時期があります。


主人公のSalと妹のジェインとやさしい両親家族は海辺の家に住んでいます。ある朝、サルは歯がグラグラしていることに気づき、ビックリ!
母親からはお姉さんになる証拠だといわれます。海辺のアザラシや鳥たちにも、自分の歯に起こった変化を話します。
日常の出来事をみごとな味のある絵と文で描いた絵本としては長編です。まあ長編と感じたのはわたしに英語力がないためだったかもしれません。

抜けた歯を枕の下にして眠ると願い事がかなうと母親が言っています。わたしが子どもの時は、抜けた歯が下なら屋根に、上の歯なら縁の下に投げるとまた歯が生えて来ると友達と話していた時のことを思い出しました。

難しい単語と、その訳のページがあったので以下に記しておきます。
wiggle out of (身をくねらせて〜から抜ける)、wiggle
(小刻みに動く)、come out (抜ける)、clam (ハマグリ、
アサリなどの二枚貝)、fish hawk (ミサゴ)、loon (水潜り鳥)、
duck (ひょいと頭を引っ込める)、herring (ニシン)、seal
(アザラシ)、stoop (かがむ)、mussel (イガイ)、solemnly
(真面目に)、wade (水中を歩く)、gravel (砂利)、grunt
(〜をうなるように言う)、concerned (心配そうな)、
sympathize (気の毒に思う)、pebble (小石)、hunt (探す)、
reluctantly (しぶしぶ)、scramble (急いで〜する)、
convince oneself (自分を納得させる)、tumble (落ちる)、
preserver (救命道具)、outboard motor (船外機)、
sputter (プッスンプッスンと音を立てる)、ashore (岸へ)、
plier (ペンチ)、tunk (トントン打つ)、spark plug
(点火プラグ)、dictate (指図する)、ruin (損なう) 
くらいでしょうか。
*アマゾンのサイトでは中身が少し見られます。
               

                

2019年3月4日月曜日

島崎藤村

                 
安曇野市図書館から島崎藤村の伝記本を借りた。挿絵がたくさん入り、読みやすい伝記本である (信濃の伝記シリーズ3郷土出版社刊)。

わたしの高校時代の国語の教師馬場八之進先生は九十一歳の時に、わたしたちの同級会に出席して下さった。戦争で右腕を失い、国語の授業ではコツコツとチョークの音を響かせて黒板に左手で文字を書く姿が印象的だった。

クラス会の席で「先生は学生時代にどんな本を読んでいたんですか?」と聞くわたしに馬場先生は島崎藤村の作品をよく読んだと言った。

たまたま図書館で藤村の伝記本を目にして、すでに亡くなってしまった馬場先生の言葉を思い出し、借りて来た。またネットで藤村の生涯について調べると以下のような一文もあった。


「共立学校(現・開成高校の前身)など当時の進学予備校で学び、明治学院本科(明治学院大学の前身)入学。在学中は馬場孤蝶戸川秋骨北村季晴らと交友を結び、また共立学校時代の恩師の影響もありキリスト教洗礼を受ける。学生時代は西洋文学を読みふけり、また松尾芭蕉西行などの日本古典文学も読み漁った。」

「また教師時代に教え子の佐藤輔子を愛し、教師として自責のためキリスト教を棄教し、辞職する。その後は関西に遊び、吉村家に戻る。1894年(明治27年)に女学校へ復職したが、透谷が自殺。さらに兄・秀雄が水道鉄管に関連する不正疑惑のため収監され、翌年には輔子が病没。この年再び女学校を辞職し、この頃のことは後に『』で描かれる」。などの記事が見られた。

いいことも不道徳といわれることも、いろいろあるのが人生である。伝記は少年少女時代にいっぱい読むことによって、自分の人生の指標ともなる。わたしが勤務した大阪水上隣保館やバット博士記念ホームで出会った子どもたちに、安曇野の幼稚園で出会った多くの幼子たち(教え子たち)にも、いろいろな伝記本を手にして読んでほしいと思う。


2019年1月30日水曜日

The Snow Goose

 

「スノーグース」を一時間ほどで読んだ。内容も絵もとてもいい。著者ポール・ギャリコ、絵アンジェラ・バレットである。この作品は1940年に「サタデーイブニングポスト」に発表され、1940年にO・ヘンリー賞を受賞している。今回のこの本の絵はアンジェラ・バレットが描いている。ここには英語版の表紙を載せたが、わたしが読んだのは片岡しのぶ訳の日本語版である。

実はこの絵本を安曇野市の図書館で借り、その前に伊那市の図書館でも借りているのに気づいたのが通院の関係で伊那高原に来た今夜だった。いつも絵本なども何冊かを借りるので、読まないで返してしまう事もある。時間の関係で手ごろな絵本を先に読み、文字数の多い本は返却してしまうことが多いのだ。

気づかずに同じ本を安曇野と伊那高原で二冊借りていたのだ。これは読まなくてはなるまいと思った。この傷ついた野鳥を胸に抱く表紙の少女が俺を呼んでいると思った。

そして一気に読み、各ページの絵にも感動した。野鳥たちや野生の動物たちの命にあたたかな心を寄せる人々にはぜひお薦めしたい本である。この本と出合わずに人生を終えることは、とても、もったいない。

この本が発表されたのは世界大戦の時代である。そうした時代背景の中で、背中に、左手に障害を負った心優しき青年の暮らすのは海辺の湿地帯にある古い空き家となった灯台。全長六メートルのヨットで時々近くの村へ買い物に出る画家であり、野鳥保護にも尽力する孤独な青年の元に、ある日、一人の少女が瀕死のグースを抱いて助けを求めて来たところから、この物語は静かに始まる。

そして、この少女は私にも呼び掛けて来たのだ。安曇野にも毎年冬になるとシベリヤからの白鳥や他の渡り鳥がたくさんやって来る。来週はぜひ会いに行こうと思う。






2019年1月14日月曜日

強烈な画家 ゴッホとゴーギャン

ゴッホの最後の作品と言われる麦畑とカラスの絵
「伝道師として挫折した私は絵画を通じて、救い、救われたかった」。1880年(27歳)、ヴィンセント(ゴッホ)はテオへの手紙の中で画家を目指すことを告白し、取りつかれたように素描(デッサン)の特訓を開始する。父親が牧師だったゴッホは、自分も伝道師として人々に光を与えようと学習をはじめたが、出来なかった為、絵によって光を与えようとした。芸術はヴィンセントにとって「愛を訴える方法」だった。ゴッホの弟テオは兄の生活を助けるべく仕送りを始め、10年後に兄が自殺するまで毎月続けた。質素に暮らしていることを報告する為か「僕の主食は乾パンとジャガイモ、或いは街角で売っている栗だ」「4日間で23杯のコーヒー以外に殆ど何も食べなかった」と弟に書き送っている。テオが多忙で返事を書けないでいると「君が手紙を寄越さないのは僕が金をせびるのを警戒しているのか」と嫌味を書いたが、テオが表向きは親からの送金といって自腹を切っていたことを父より聞かされ、恥じ入ると共に「心から感謝しているし、君が(仕送りを)後悔しないよう決して期待を裏切らない」と誓った。

27歳から絵を描き始め、37歳でピストル自殺をするまでの10年間という短い歳月だが、強烈な作品を遺していることに感動を覚える。

ゴッホの弟テオからヴィンセント(ゴッホ)の死を知らされたゴーギャンはすぐに追悼の手紙を書いた。「痛ましい知らせを受け取り、深い悲しみに沈んでいます。このようなときに、月並みなお悔やみの言葉をかけるつもりはありません。あなたもご承知のように、彼は誠実な友人でした。そして私たちの時代における数少ない本当の芸術家でした。作品の中に彼はずっと生き続けることでしょう。彼がいつも“岩はいずれ砕けるが言葉は残る”と言っていたように。 私もこの眼と心で、作品の中の彼に会うつもりです~P.ゴーギャン」

このゴッホの友人であったゴーギャンもわたしを引き付ける画家である。ゴッホとゴーギャンに関する書を一度じっくり読んでみたいと思っている。
『黄色いキリストのある自画像』 ゴッホと別れた直後のゴーギャンの自画像






しげちぁん

慈(しげる)という名前を、女の子がつけてもらった。でもこの名前は男の子の名前の様で好きになれなかった。小学校に入学した日に、男の子の名前の子は、水色の紙に、女の子の名前の子はピンクの紙に名前が書いてあり、そこに座るようになっていた。 先生は「しげる」と水色の紙に書いていた。先生は...