2020年3月28日土曜日

75歳にして「車輪の下」読了

                 

ヘルマン ヘッセ「車輪の下」を昨夜に読み終えた。暗い鬱的小説であり、ぼくとしては、あまり好きな内容ではなかった。今まで何度か手にして、何度も途中で投げ出した本だったこともうなづけた。高校生の夏に文庫本をピアノをやっていたある女子大生から「読み終えたから」と手渡されたのが、この本との出合いだった。その夏に少し読んだだけで、忘れ。そして、また本屋や図書館で「車輪の下」を目にするたびにまた手にて少し読み、また忘れるを繰り返して来たが、75歳の今、ようやく決着がついた。

この本の解説が、終わりに、けっこうなページ数で載っていた。そっちの方は引き込まれて一気に読んた。この本の主人公ハンスは、著者自身の体験をもとにした青春小説であったんだなー。

小説のハンスに母親はいない。しかし、著者ヘッセには母親がいて、彼が何度も自殺に向かうような時に、熱い母親の祈りがヘッセを助け、のちのノーベル賞作家ヘッセへとしての道を開いたのだ。いつの世でも母親の我が子への祈りは偉大である。

以下に解説の一番最後の部分を載せておきます。

「ヘッセ にとって 悪夢 の よう だっ た 神学校 生活 の 一面 を 作品 に 吐き出し て、 心 の 傷痕 を 洗う 必要 が あっ た。 しかし、 ふるさと や マウルブロン の 描写 には、 すぐれ て 美しい 魅力 が ある。 試験 を 終え た あと、 ハンス が 草いきれ の する 夏 の 野原 で 上気 し ながら ばった を つかまえる 時、 無心 に 釣糸 を 垂れる 時、 少年 は どんなに 子ども らしく 生き生き と する こと で あろ う。 この ひたむき な 少年 の 悲しみ と 喜び、 神学校 の 生徒 たち の ほほえましい ユーモラス な 群像、 それら は この 生徒 の 悲劇 を 愛す愛す べき 物語 に し て いる。」 
ヘルマン・ヘッセ. 車輪の下(新潮文庫) (Kindle の位置No.3206-3207). 新潮社. Kindle 版.


2020年3月24日火曜日

ヘルマン ヘッセ「車輪の下」今回こそ完読へ

                   

自然豊かな安曇野にある小さな教会で牧師をしているが、ここのところ世界のキリスト教会の様子を知りたくなり、ユーチューブを利用して、アメリカ、ドイツ、英国の各教会牧師の説教を聞いてみた。

語学力がなくても、ユーチューブには自動翻訳機能がついている動画が多く、だいたいの様子が字幕で分かり、勉強になった。まだまだ自動翻訳機は開発途上で、変な翻訳で分かりづらかったりするが、それでも大体の内容把握が出来て参考になった。
さて、そんな聖書学習ばかりしていて、少し疲れた。そして、ふっと読書がしたくなった。近くの安曇野図書館を利用して時々にけっこう読書はしているが、小さな文字がびっしり並んだ本は読む前から気分的に疲れてしまう。

そこで利用しているのがKindleの電子書籍である。Amazonで注文すればワンクリックで、一分もしないで手元のパソコン、スマホ、kindleにファイルが届き、すぐ読書に入れる。文字の大きさは自由に調整でき、何処てでも読めるし、kindle内に5000冊以上のファイルがはいるらしい。これはもう便利だ。

読み始めたのはヘルマンヘッセの「車輪の下」(新潮文庫) Kindle版である。この本を初めて手にしたのは高校生の夏だったが、途中までだった。小さな文庫本は読了することなく何回も紛失し、また購入し、また途中で…を繰り返して来た。今回、何だかとても読みたくなりkindle版を購入した。

しかし、何故、また急にと、自分でも思うのだが、田舎少年の夏の日々など、なんとなく懐かしい、この本の書き出しの部分が、わたしの中で、まるで自分自身の少年の日々の思い出のように懐かしく残っていたからかもしれない。今回こそ終わりまで読むぞ!




2020年3月18日水曜日

インフル薬「アビガン」有効性確認 


今、ネットでJiJi COMの以下のニュースが目に入ったので、ここに記しておく。
【【北京時事】中国科学技術省は17日の記者会見で、新型コロナウイルス感染患者の治療薬として、富士フイルムのグループ会社が開発した新型インフルエンザ薬「アビガン」の有効性を臨床試験で確認したことを明らかにした。
韓国、日本から輸入検討 インフル薬「アビガン」―新型肺炎
アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を富士フイルムと2016年に結んだ中国の製薬大手・浙江海正薬業が、後発医薬品を量産する方針だ。同社は先月、中国国家薬品監督管理局から認可を取得している。
 臨床試験は、湖北省武漢市と広東省深セン市の病院で計200人の患者を対象に行われ、投与した患者の方が短期間に陽性から陰性になり、肺炎症状なども改善したという。アビガンは日本でも先月から患者への投与が始まっている。】

この記事から、インフル薬「アビガン」が、どのくらい有効なのかわからないが、新型コロナウイルスの脅威の中にある今の世界に一条の光が差し込んできた感がある。

いずれにしても、アメリカも新薬開発で臨床実験に入ったと報じられている。軍事力競争に走っていた両国が、こうした面で競争することは問題ない。巨額な軍事予算に回す資金を、こうした医療予算につぎ込む方がいい。

しかし、人間の心はいつも悪に向かうと告げるのが聖書だ。以下に聖書の神が人間たちに語りかける言葉を、旧約聖書の詩編91編から、以下に記しておきたい。
11 いと高き者のもとにある
隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
2主に言うであろう、「わが避け所、わが城、
わが信頼しまつるわが神」と。
3主はあなたをかりゅうどのわなと、
恐ろしい疫病から助け出されるからである。
4主はその羽をもって、あなたをおおわれる。
あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。
そのまことは大盾、また小盾である。
5あなたは夜の恐ろしい物をも、
昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
6また暗やみに歩きまわる疫病をも、
真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
7たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、
万人はあなたの右に倒れても、
その災はあなたに近づくことはない。
8あなたはただ、その目をもって見、
悪しき者の報いを見るだけである。
9あなたは主を避け所とし、
いと高き者をすまいとしたので、
10災はあなたに臨まず、
悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
11これは主があなたのために天使たちに命じて、
あなたの歩むすべての道で
あなたを守らせられるからである。
12彼らはその手で、あなたをささえ、
石に足を打ちつけることのないようにする。
13あなたはししと、まむしとを踏み、
若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
14彼はわたしを愛して離れないゆえに、
わたしは彼を助けよう。
彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
15彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。
わたしは彼の悩みのときに、共にいて、
彼を救い、彼に光栄を与えよう。
16わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、
わが救を彼に示すであろう。
…「天幕」とは神が臨在される、今日の「教会」のこと。しかし、この世には神の臨在されない毒麦の教会があるともイエスは語られている。

2020年3月8日日曜日

カミュ著「ペスト」を読み終えた。


                


ノーベル賞作家(カミュ(1913~60)の『ペスト』電子書籍版を読み終えた。

今、日本を、そして世界中をウイルスの脅威が覆っている時だけに、緊張感を持って、この「ペスト」の小説の中に引き込まれた。

カトリック神父の説教は歯切れが悪いが責められない。彼もペストの渦中で命を落とす。この書の中で、海で泳ぐ時の感触について、泳ぎの好きなぼくが「オッ!」と思い、目をとめた個所がある。それは、著者のカミュも泳ぐ時の喜びを同じように感じていたんだなと、親近感を持った個所だ。

そこには泳ぎについて「水と肉体との饗宴」と表現していた。泳ぐ喜びは、すべてからの自由な解放感であり、おおげさなようだが、生きているんだと実感できる時なのだ。文学的に人生を様々な角度から考察し描いたノーベル賞作家だが、若かった頃の素直な体験や心が出た表現のように思う。カミュ自身もそんな泳ぎの瞬間を味わっていたのだと思い、何となくうれしくなった。

また禁止令の出ている緊迫した中、主人公の医師と親友の二人が、こっそりと夜の海で泳ぐ個所もとても印象に残った。その友も、疫病が収まりかけた時に突然ペストで死ぬ。
  
  初めがあれば、終わりも必ず来る。しかし「人間に不幸と教訓をもたらすために、いつかまた幸福な都市にベストは差し向けられる」の預言的言葉でこの小説は終わっている。ペストから助かった者にも必ずさまざまな死は訪れる。
  著者のカミュは四十七歳の若さで交通事故で即死している。




しげちぁん

慈(しげる)という名前を、女の子がつけてもらった。でもこの名前は男の子の名前の様で好きになれなかった。小学校に入学した日に、男の子の名前の子は、水色の紙に、女の子の名前の子はピンクの紙に名前が書いてあり、そこに座るようになっていた。 先生は「しげる」と水色の紙に書いていた。先生は...