2020年12月12日土曜日

12の月たち

 


犬たちと散歩する安曇野の自然の中、ジャンバーに襟巻、毛糸の手袋がひつようになって来た。しかし、コロナの影響で汚染ガスなどが減り、中国大陸各国の空がきれいになり、日本の空も今年の秋の空は、冬になっても空が澄んでいて見事なブルーと白い雲である。鳶も気持ちよさそうに旋回している。十二月である。ここに紹介の絵本では、冬の各月である12と1と2月が活躍する季節となったんだなー。

2020年11月19日木曜日

「雪虫」のサインに、冬用タイヤに交換

 

昨夕、妻が事務所西窓の外に目をやり、ぼくが言っていた「雪虫」ではないかと知らせた。目をやると道路側一番北の太い桜の幹の周りに、浮き沈みする白いものが西日の中に見た
外に出て確認するとやはり「雪虫」たちだった。

二日続けての、自然からの知らせ、「雪のシーズンに入りますよ」のサインと感じたぼくは、さっそく近くのイエローハットへ行きタイヤ交換をしてもらった。一本800円で四本交換なので3,200円だった。前は一本500円だったが、知らない間に値上がりしたようだ。空気圧その他も点検してもらい、これでいつでも雪や道路凍結への備えは出来た。

まあしかし、安全運転に心がけ、これからの冬シーズンに向かおうと思う。「雪虫」くんたち雪シーズンサインをありがとう。



2020年11月18日水曜日

秋の西日の中を「雪虫」が舞っていた。

                   


 秋晴れの日の午後に中房川近くの林の中にある家を訪問した。月一回のペースで発行している「教会ニュース」を届けるためだった。呼び鈴をならし玄関前で待っていると、近くの低木の周りにチラチラといくつもの小雪のようなのが舞っていた。

すぐに気づいたが、小雪の様に見えたが、虫の一種らしく、初雪が降る頃に小雪のように舞うので「雪虫」と呼ばれる虫らしかった。

家に帰りネットで調べるとアブラムシの一種で、北海道や東北などでよく見られ、この「雪虫」が舞うと1~2週間後に雪が降ると言われているらしい。

この「雪虫」について、ぼくは少年の頃に見たり聞いたりした遠い記憶があるが、こんなにハッキリと意識して、目の前に見たのは初めての事であり感動した。

そろそろ冬用タイヤに替えようかなと思う。自然って凄いな。「雪虫」くんたち、ぼくに出会ってくれてありがとう。どのくらいのいのちか知らないが元気でな!

                    


2020年10月26日月曜日

見事なオリオン座が目の前にあった。

 朝の五時少し前、犬のトイレで西向きの教会玄関の扉を開けた。まだ夜であった。足元に気を付け顔を上げると正面の左上空に一目でそれと分かるオリオン座が大きな空間を占めて輝いていた。思わずオーっと声が出そうになった。

ぼくたちは宇宙の中に生かされているんだナーと、星空を見上げるたびに実感する。北斗七星は街灯や隣の建物などで確認できなかったが、あちこちにキラキラと星が散らばり輝いていた。今朝も冷え込みが厳しい。

機会をとらえて、みなさんも是非夜空を見上げてみましょう。ぼくたちは一つの惑星、地球という惑星に生きていることを実感させられます。まさに生かされている存在であることを、謙虚に実感することが出来ます。創造者なる神は存在するのです。


2020年10月19日月曜日

雨蛙の能力に驚き Amazing ability of tree frog

                    


素晴らしい秋晴れの中を、犬たちと散歩した。この前までロッキーと川下りで一緒に泳いだ犀川の東岸沿いの道から眺める自然の全ては、秋の陽射しであふれていた。すじ雲や羊雲が高い空に輝き、青空が広くどこまでも遠く、深く輝いていた。

その爽やかで、小春日和の爽やかな中に、近くの稲刈りを終えた田んぼから、雨蛙の「クワッ、クワッ、クワッ」と鳴く声が大きく響いて来た。久しぶりに聴く懐かしい鳴き声に、わたしはニッコリ。「明日は雨かなー、しかし、こんなに素晴らしい秋晴れだ。西山の上も、東山の上にも雲一つないのになー、そうか、あいつ仲間でも呼んでいるのかな」と妻に言った。

「そうだね、雨になりそうな天候にはみえないね」と応えた。

ところが、帰ってスマホで明日の安曇野地方の天候を調べて驚いた。その日の夜半から冷たい雨予報だった。そしてその通り夜半から雨となり、翌日も一日中雨となったのだ。

教会横の隣家の畑から、また伊那高原の自宅の周囲からも、この雨蛙の声が響くと、不思議と翌日に天気が崩れ、雨となる。いやー、蛙さんは凄い能力を確かに持っているのだ。

「雨蛙の声が響くと、翌日は雨になる」との、昔からわたしが耳にして来たことは、本当なんだなー」と感心して、夜半からの雨音を聞き、蛙さん、冷たい雨だから風邪ひくなよと思いながら、わたしは眠りについたのだった。


2020年9月14日月曜日

2020 夏の終わり

 9月13日の早朝に雷鳴があり、雨も降った。日曜礼拝後、少し迷ったが、今日が最後だから四賀村のB&G室内プールへいつものように出かけた。この日でプールは閉場となる。

一キロほどを泳いで、プールに「また来年!」と感謝と別れを告げた。山間にあるコンビニの駐車場で牛乳パンを食べながら、目の前のコスモスにアゲハ蝶がとまり、大きくしならせて蜜を吸っているのを見た。その向こうには色づいた小さな稲田、さらにむこうには山々が続き、空は薄ブルーだった。


その時、ふっと悲しみの感情が湧きあがり涙がこぼれそうになった。夏の終わりはいつも寂しい。牛乳パンの半分と、安曇野市内に入って買った牛丼中盛を土産に教会へ帰った。

この一夏、留守番をしてくれた犬たちと妻への感謝をこめた、パンは妻に、牛丼は犬たちへのささやかなプレゼントである。

2020年8月20日木曜日

安曇野も伊那高原も35℃の猛暑

 暑さの中にあるみなさんに 暑中お見舞い申し上げます。愛犬ロッキーと安曇野の犀川を流れ下る夕暮れです。暑いけれどぼくは夏が好きです。しかし、暑い夏であり、トムソーヤの歌のように「のんびりと 陽気に 力強く」歩こうと思う。76歳になってまで、あくせくすることはないし、暗い顔でいることもない。何よりも聖書の言葉に力をいただき、走るのではなく、自分らしく歩きたいと思う。

2020年7月15日水曜日

戦地に行くことがあたりまえの青春

                    
三重県から東京に出て、現在の日大映画科へ一浪の翌年に入学した竹内浩三が、残した日記には彼のありのままの言葉が記されている。そして23歳でフィリピンで戦死。その日記が、彼は早くに両親を亡くしていて、ただ一人の肉親であった、すでに結婚していた姉の手元に送られていて現存。この日記は昭和19年1月1日に始まり7月21日で終わっている。部隊に所属してからもトイレで日記や詩などを書き続けた二冊の日記である。
無名の一青年の青春の日々の記録は、心を打つ。生きるとは何か、死ぬとは何かを、読む者にも問われる書である。
彼の東京での学生の日々、失恋の連続、姉に金を送ってもらっての生活。わたしの東京での青春とも重なり、懐かしい日記である。しかし、ぼくとの一番の違いは、時代です。戦地行き、死ぬことが分かっていて出かける戦地、これが、当時の若者たちの強制的な道だったのだ。


2020年5月21日木曜日

白紙と思われていた死海文書の断片、肉眼では見えない文章発見

                                                         
写真をクリックして拡大するとヘブル語の一部が確かに見える。

 英マンチェスター大学が所蔵する「死海文書」の断片に、肉眼では見えない文章が書かれていることが明らかになった。これまで、同大所蔵の死海文書51点には何も書かれていないとみられていた。しかし特殊なカメラを利用した調査の結果、うち4点にヘブライ語やアラム語の判読可能な文章が含まれていることが判明した。死海文書はイエス・キリストの時代にさかのぼる最古のヘブライ語聖書写本などで構成されており、研究者は長年、より深い理解を目指して調査に取り組んできた。マンチェスター大の声明によると、最も内容が充実した断片には15~16文字からなる文章が4行書かれていた形跡がある。保存状況は部分的だが、「Shabbat(安息日)」の単語を明確に読み取ることができ、同大は「エゼキエル書46章1~3節に関連した文章の可能性があるとみている。

死海文書を巡っては最近、偽物と判明するケースも出ているが、今回の断片は本物で、ヨルダン川西岸のクムラン洞窟で死海文書が初めて発見された際に発掘された。ヨルダン政府は1950年代、これらの断片を英リーズ大の専門家ロナルド・リード氏に寄贈。リード氏は研究結果をまとめて発表したものの、文章の発見には至らなかった。一連のコレクションは97年にマンチェスター大に寄付されて以来、ほぼ手つかずの状態だったが、最近になってロンドン大学キングス・カレッジのジョーン・テイラー教授が調査に乗り出した。テイラー氏は断片のひとつに文字が書かれている可能性があるとみて、マルチスペクトル画像法による撮影を実施。すると、肉眼では見えなかった文章の存在が明らかになった。(5/21/2020 CNN)

   いやー、いいニュースだ!   死海文書のイザヤ書に続いて、これは大きな発見だと思う。神の民、イスラエル民族の大きな役割の一つは、ユダヤ人律法学者でキリスト者であるパウロが言っているように「神の言葉の管理者」としての役割を担ってきてが、ここにエゼキエル書の一部にしても、判読できる状態になったことは、聖書を神の言葉と信じる一牧師としてのわたしにも、今回の発見は大きな期待と喜びである。解読結果が待たれる。

2020年5月7日木曜日

爽やかな風の中で

連休は伊那高原の自宅で過ごした。庭の草刈りや小さな畑にプチトマトの苗を三本植えたり、家の周りの草取りもした。

そして今日の木曜日は安曇野の教会へ戻った。夕方か明日に、草刈り機で駐車場周辺の手入れをしようと思う。伊那から安曇野への道中では、途中で犬の散歩もし、新緑の季節の風に吹かれて、素晴らしい景色に心もなごみ解放感いっぱいであった。

鳶やアオサギ、白鷺、セキレイ、ウグイス(声だけ)などの野鳥の姿にも出会い、ロッキーは天竜川の流れで泳いだりもした。本当に良い季節になりました。


稲妻とプチトマト

                   

五月の連休の最終日、犬たちとの散歩の後、グリーンファームに寄り、プチトマトの苗を購入した。それを伊那の自宅庭に作った小さな畑に植えた。

犬たちとの散歩途中から雨が降り始め、苗を購入して駐車場へ戻る時、もの凄い雷鳴が響き渡った。繰り返し稲妻が走り、雷鳴が響き渡り、フロントガラスを激しい雨がうち叩いた。

それでも自宅に到着する頃には、雷鳴は遠のき、雨足もいくぶん衰えたので、妻と二人で小さな畑にプチトマトを三本植えた。ここ何年か、このプチトマトを植え、食べきれないほどの収穫を得ている。

明日、安曇野の教会へ戻り、教会の庭の小さな畑にも、同じプチトマトと、他にもキュウリ、ツルムラサキなどの野菜を植えることにしている。

今は小さな苗だけど、夏から初秋にかけて、大きく育ち、我が家の食卓にのぼることになる。人も皆、何かの実を実らせるために、激しい雷雨から始まったこれからの梅雨の季節に、そして、夏から初秋へと向かうのだ。
                    

2020年5月5日火曜日

ベルギーのヤングママに拍手

  

他のブログにも紹介したのですが、ここでも、紹介したいのが、今夜ぼくのEメールに配信された日本キリスト教団南信分区からの以下の内容です。日本から宣教師としてベルギーへ派遣された方が、ベルギーの今を報告した中から以下の部分にぼくは感動しました。

【今や世界中がコロナの話題ばかりですが、いかがお過ごしでしょうか。ベルギーではやっと一日の感染者数が500人前後と、ピーク時の3分の1程度に下がってきました。マクドナルドのドライブスルーが許可され、お子さんにせがまれたらしい、車を持っていないママさんが「段ボール」で車を作ってドライブスルーに乗り込むという珍事が発生したそうです。少し前なら3万円近い罰金に当たると見なされてもおかしくないことでしたが、警察も笑って身元確認だけで見逃してくれたとのこと。そんなニュースも笑いで受け入れられるだけの気持ちの余裕が戻ってきたように思えます。】

いやー、いいではないか!
この子は、きっと、この日の事を一生忘れないと思う。ぼくもマックは好きで、犬たちとの散歩の帰りに時々、マックに寄り、日本にマックの一号店が銀座に出来、大学生だったぼくは、日本人では最初の方の客の一人だ。その時の味のままの、100円マックを二個買って、犬たちと分けて食べる。この100円マックが無くなったら、マックに行くことは無くなる。最近はケチャップをケチる傾向が強い。ピクルスの味も、初期よりやや落ちる。まー、ジェネレーションの推移だな。
いずれにしてもダンボールで制作した車に子と乗り、マックに出かけたヤングママに拍手!
                     
追記
今朝(5月5日)この記事に関して、ネットで調べたら、同じベルギーのマックに、ダンボール制作の車で並ぶ写真があったので以下に載せておきます。この写真の解説には、「車以
外での外出を禁止されているベルギーで」とありました。この写真はヤングママと子どもではないみたいだが。あちこちでこんな光景が出て来たのかもしれない。


2020年4月30日木曜日

夏近し 二つの思い

                     


今日の伊那高原は日中に20度を越えて、風のない場所では25度近くになっていたようだ。これで川の水温も上がれば川泳ぎも可能となる。

伊那高原では、駒ケ根まで出かけて太田切川、安曇野では中房川ということになる。いずれも西山から流れ下る清流である。

毎年、初泳ぎは五月の連休明け頃となり、この時に犬のロッキーが気持ちよさそうに泳ぐのにつられぼくも飛び込むことになる。しかし、その冷たさに、直ぐ上がり、暑く熱した大石の上にへばりつくことになる。

どうだろう、コロナウイルスたちは、夏には姿を消してくれるだろうか。海にも行きたい。泳ぎの出来ない夏なんて考えられない。

 もう一つ英国の牧師 davidw pawsonの説教スタイルに感化を受け、視聴覚においても工夫しようと、夏を前に思い立ったのだ。

早速アマゾンで、三脚を3.400円で購入し(写真は黒だが、ぼくのは白)昨夜届いたのを組み立てた。次回説教から、地図や自分で描く絵などを一枚~二枚用意して説教に立体感というか、具体性を持たせたいと考えている。

子どもタイムでは、絵本やその他を教材にしたか、デビッド・パーソン牧師に影響され、踏み出すことにした。壁への映写方式も考えたが、このデビッド牧師の方法が、ぼくにはよさそうだ。さあ、この夏に向かってチャレンジだ。
                  




2020年4月20日月曜日

電子書籍の時代を歓迎する

                  
コロナウイルスで室内にいる時間が多くなる人々の、過ごし方の一つに読書があるが、書店に行かずネットで注文し、一分以内に電子書籍のファイルが、手元の端末に届き、直ぐ読み出せる利便性は高い。

それと私の場合、小さな文字より、自由に適度な大きさの文字に調節し、読める電子書籍はありがたい。本箱のような置き場もいらない。

今まで電子書籍版にしなかった作家や出版社も、今回電子書籍に踏み切るところも出て来て大いにわたしは賛成である。4月24日から、ミステリー作家の東野圭吾作品の何冊かが電子書籍で発売となるようだ。

そこで、彼の代表作といわれる一冊を購入することになりそうだ。それは「白夜」である。

書籍内容紹介に「1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々と浮かぶが、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と「容疑者」の娘・西本雪穂――暗い目をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別の道を歩んでいく。二人の周囲に見え隠れする、いくつもの恐るべき犯罪。だが、証拠は何もない。そして19年……。伏線が幾重にも張り巡らされた緻密なストーリー。壮大なスケールで描かれた、ミステリー史に燦然と輝く大人気作家の記念碑的傑作。」とある。楽しみである。


2020年4月8日水曜日

コロナウイルスの正体


安曇野にある豊科教会の庭の三本の桜が、今週末にはほぼ満開を迎える。例年より一週間程度早い気がする。
                    




さて、今、世界中を恐怖に陥れているコロナウイルスに関する記事が、朝日新聞DIGITAL版にあったので、その一部をここに載せておきたい。

青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さんが解説する「ウイルスとは何か、そしてわたしたちに感染するメカニズムはどうなっているのか」。

【ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。

今、世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルスは、目に見えないテロリストのように恐れられているが、一方的に襲撃してくるのではない。まず、ウイルス表面のたんぱく質が、細胞側にある血圧の調整に関わるたんぱく質と強力に結合する。これは偶然にも思えるが、ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とにはもともと友だち関係があったとも解釈できる。それだけではない。さらに細胞膜に存在する宿主のたんぱく質分解酵素が、ウイルスたんぱく質に近づいてきて、これを特別な位置で切断する。するとその断端が指先のようにするすると伸びて、ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ、ウイルスの内部の遺伝物質を細胞内に注入する。かくしてウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだが、それは宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。】

しかし、私の場合、いや、みんなもそうだと思うけれど、今回のコロナウイルスくんを、宿主の総元締めの私の許可なく招き入れてほしくないなあ。

しかし、考えて見れば、宿主の総元締めと言ったって、全部体たちにまかせて、このわたしは生きて来たし、今も生かされているわけだ。よくやってくれている自分の体に感謝こそすれ、文句なんか言えないよな。
                  

2020年4月2日木曜日

タマ、帰っておいで

                  
昨日の朝、伊那高原の我が家に出入りしていたらしい野良猫の事で、悲しいことがあった。人間の罪の深さに絶望感さえ覚える。

そして一日後の今夜、イラストレーターの横尾忠則さんが、91枚からなる猫を描いた本を出版したとのニュースが目にとまった。

ヤフーニュースは、【「タマ死す。愛の対象の不在と喪失感に現実はあってないも同然」と、画家・世高忠則がツイッターでつぶやいたのは、2014年6月2日11時16分08秒のことだった。その二日前(5月31日)に、15年ともに暮らした愛猫タマを亡くしたばかりの彼は、そこから堰を切ったように連続投稿。】から始まり長い。以下に要点のみ載せておきます。デスマスクからはじまったタマの絵。

 以降、単なるアート作品としてではなく、タマへの愛を込めて〈自分のためだけに〉描き続けた絵は、91枚もの大作になっていく。書にはその全作品が収められ、一枚一枚に創作年がクレジットされている。

 日記とは別に、タマの絵91点を観たあとに、あっと驚く「あとがき」が待っている。このあとがきについては、種明かしはできない。ヒントも出せないが、横尾のペットロスと言われる深い喪失感、絶望感からの見事な再生に清々しい思いで読了した。

 ところが、だ。満足して本を閉じた瞬間、表紙に刷られたタイトルに不覚にも涙がこぼれた。

 『タマ、帰っておいで』。

 これは、癒えてもなお永遠に続く、横尾の心の声ではないか。タイトルは読後のためにもあることを、本書は教えてくれる。


「この絵はアートではない。猫への愛を描いた」――は横尾忠則さんの言葉だ。
 
横尾忠則…1936 年兵庫県生まれ。1972 年にニューヨーク近代美術館で個展。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロ、バングラデシュなど各国のビエンナーレに出品し世界的に活躍する。アムステルダムのステデリック美術館、パリのカルティエ財団現代美術館での個展など海外での発表が多く国際的に高い評価を 得ている。2012 年、神戸に横尾忠則現代美術館開館。2013 年、香川県豊島に豊島横尾館開館。2015 年、第27 回高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

書店で手にして、じっくり立ち読みしたいと思う。そして、このニュースには記されなかった。あとがきをぜひ読みたいと思う。猫だって、犬だって、みんな不滅の魂があるのだ。なにも人間だけが特別な生き物ではないのだ。聖書を読めばハッキリわかる。人間は地獄に行く可能性はあるけれどね。
                





2020年3月28日土曜日

75歳にして「車輪の下」読了

                 

ヘルマン ヘッセ「車輪の下」を昨夜に読み終えた。暗い鬱的小説であり、ぼくとしては、あまり好きな内容ではなかった。今まで何度か手にして、何度も途中で投げ出した本だったこともうなづけた。高校生の夏に文庫本をピアノをやっていたある女子大生から「読み終えたから」と手渡されたのが、この本との出合いだった。その夏に少し読んだだけで、忘れ。そして、また本屋や図書館で「車輪の下」を目にするたびにまた手にて少し読み、また忘れるを繰り返して来たが、75歳の今、ようやく決着がついた。

この本の解説が、終わりに、けっこうなページ数で載っていた。そっちの方は引き込まれて一気に読んた。この本の主人公ハンスは、著者自身の体験をもとにした青春小説であったんだなー。

小説のハンスに母親はいない。しかし、著者ヘッセには母親がいて、彼が何度も自殺に向かうような時に、熱い母親の祈りがヘッセを助け、のちのノーベル賞作家ヘッセへとしての道を開いたのだ。いつの世でも母親の我が子への祈りは偉大である。

以下に解説の一番最後の部分を載せておきます。

「ヘッセ にとって 悪夢 の よう だっ た 神学校 生活 の 一面 を 作品 に 吐き出し て、 心 の 傷痕 を 洗う 必要 が あっ た。 しかし、 ふるさと や マウルブロン の 描写 には、 すぐれ て 美しい 魅力 が ある。 試験 を 終え た あと、 ハンス が 草いきれ の する 夏 の 野原 で 上気 し ながら ばった を つかまえる 時、 無心 に 釣糸 を 垂れる 時、 少年 は どんなに 子ども らしく 生き生き と する こと で あろ う。 この ひたむき な 少年 の 悲しみ と 喜び、 神学校 の 生徒 たち の ほほえましい ユーモラス な 群像、 それら は この 生徒 の 悲劇 を 愛す愛す べき 物語 に し て いる。」 
ヘルマン・ヘッセ. 車輪の下(新潮文庫) (Kindle の位置No.3206-3207). 新潮社. Kindle 版.


2020年3月24日火曜日

ヘルマン ヘッセ「車輪の下」今回こそ完読へ

                   

自然豊かな安曇野にある小さな教会で牧師をしているが、ここのところ世界のキリスト教会の様子を知りたくなり、ユーチューブを利用して、アメリカ、ドイツ、英国の各教会牧師の説教を聞いてみた。

語学力がなくても、ユーチューブには自動翻訳機能がついている動画が多く、だいたいの様子が字幕で分かり、勉強になった。まだまだ自動翻訳機は開発途上で、変な翻訳で分かりづらかったりするが、それでも大体の内容把握が出来て参考になった。
さて、そんな聖書学習ばかりしていて、少し疲れた。そして、ふっと読書がしたくなった。近くの安曇野図書館を利用して時々にけっこう読書はしているが、小さな文字がびっしり並んだ本は読む前から気分的に疲れてしまう。

そこで利用しているのがKindleの電子書籍である。Amazonで注文すればワンクリックで、一分もしないで手元のパソコン、スマホ、kindleにファイルが届き、すぐ読書に入れる。文字の大きさは自由に調整でき、何処てでも読めるし、kindle内に5000冊以上のファイルがはいるらしい。これはもう便利だ。

読み始めたのはヘルマンヘッセの「車輪の下」(新潮文庫) Kindle版である。この本を初めて手にしたのは高校生の夏だったが、途中までだった。小さな文庫本は読了することなく何回も紛失し、また購入し、また途中で…を繰り返して来た。今回、何だかとても読みたくなりkindle版を購入した。

しかし、何故、また急にと、自分でも思うのだが、田舎少年の夏の日々など、なんとなく懐かしい、この本の書き出しの部分が、わたしの中で、まるで自分自身の少年の日々の思い出のように懐かしく残っていたからかもしれない。今回こそ終わりまで読むぞ!




2020年3月18日水曜日

インフル薬「アビガン」有効性確認 


今、ネットでJiJi COMの以下のニュースが目に入ったので、ここに記しておく。
【【北京時事】中国科学技術省は17日の記者会見で、新型コロナウイルス感染患者の治療薬として、富士フイルムのグループ会社が開発した新型インフルエンザ薬「アビガン」の有効性を臨床試験で確認したことを明らかにした。
韓国、日本から輸入検討 インフル薬「アビガン」―新型肺炎
アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を富士フイルムと2016年に結んだ中国の製薬大手・浙江海正薬業が、後発医薬品を量産する方針だ。同社は先月、中国国家薬品監督管理局から認可を取得している。
 臨床試験は、湖北省武漢市と広東省深セン市の病院で計200人の患者を対象に行われ、投与した患者の方が短期間に陽性から陰性になり、肺炎症状なども改善したという。アビガンは日本でも先月から患者への投与が始まっている。】

この記事から、インフル薬「アビガン」が、どのくらい有効なのかわからないが、新型コロナウイルスの脅威の中にある今の世界に一条の光が差し込んできた感がある。

いずれにしても、アメリカも新薬開発で臨床実験に入ったと報じられている。軍事力競争に走っていた両国が、こうした面で競争することは問題ない。巨額な軍事予算に回す資金を、こうした医療予算につぎ込む方がいい。

しかし、人間の心はいつも悪に向かうと告げるのが聖書だ。以下に聖書の神が人間たちに語りかける言葉を、旧約聖書の詩編91編から、以下に記しておきたい。
11 いと高き者のもとにある
隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
2主に言うであろう、「わが避け所、わが城、
わが信頼しまつるわが神」と。
3主はあなたをかりゅうどのわなと、
恐ろしい疫病から助け出されるからである。
4主はその羽をもって、あなたをおおわれる。
あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。
そのまことは大盾、また小盾である。
5あなたは夜の恐ろしい物をも、
昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
6また暗やみに歩きまわる疫病をも、
真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
7たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、
万人はあなたの右に倒れても、
その災はあなたに近づくことはない。
8あなたはただ、その目をもって見、
悪しき者の報いを見るだけである。
9あなたは主を避け所とし、
いと高き者をすまいとしたので、
10災はあなたに臨まず、
悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
11これは主があなたのために天使たちに命じて、
あなたの歩むすべての道で
あなたを守らせられるからである。
12彼らはその手で、あなたをささえ、
石に足を打ちつけることのないようにする。
13あなたはししと、まむしとを踏み、
若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
14彼はわたしを愛して離れないゆえに、
わたしは彼を助けよう。
彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
15彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。
わたしは彼の悩みのときに、共にいて、
彼を救い、彼に光栄を与えよう。
16わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、
わが救を彼に示すであろう。
…「天幕」とは神が臨在される、今日の「教会」のこと。しかし、この世には神の臨在されない毒麦の教会があるともイエスは語られている。

2020年3月8日日曜日

カミュ著「ペスト」を読み終えた。


                


ノーベル賞作家(カミュ(1913~60)の『ペスト』電子書籍版を読み終えた。

今、日本を、そして世界中をウイルスの脅威が覆っている時だけに、緊張感を持って、この「ペスト」の小説の中に引き込まれた。

カトリック神父の説教は歯切れが悪いが責められない。彼もペストの渦中で命を落とす。この書の中で、海で泳ぐ時の感触について、泳ぎの好きなぼくが「オッ!」と思い、目をとめた個所がある。それは、著者のカミュも泳ぐ時の喜びを同じように感じていたんだなと、親近感を持った個所だ。

そこには泳ぎについて「水と肉体との饗宴」と表現していた。泳ぐ喜びは、すべてからの自由な解放感であり、おおげさなようだが、生きているんだと実感できる時なのだ。文学的に人生を様々な角度から考察し描いたノーベル賞作家だが、若かった頃の素直な体験や心が出た表現のように思う。カミュ自身もそんな泳ぎの瞬間を味わっていたのだと思い、何となくうれしくなった。

また禁止令の出ている緊迫した中、主人公の医師と親友の二人が、こっそりと夜の海で泳ぐ個所もとても印象に残った。その友も、疫病が収まりかけた時に突然ペストで死ぬ。
  
  初めがあれば、終わりも必ず来る。しかし「人間に不幸と教訓をもたらすために、いつかまた幸福な都市にベストは差し向けられる」の預言的言葉でこの小説は終わっている。ペストから助かった者にも必ずさまざまな死は訪れる。
  著者のカミュは四十七歳の若さで交通事故で即死している。




2020年2月28日金曜日

新型コロナウイルス世界に拡散

                      



安曇野の田園を犬たちと歩く。常念岳や北アルプスの白く輝く姿は例年とあまり変わらないが、里にはいっこうに雪は降らず、これからの春に芽吹く緑たちには、水分が不足しているように感じる。

そんな自然とは別に、別の恐ろしい自然界の目に見えない脅威が今、世界中に広がっている。中国の武漢発らしい、新型コロナウイルスの脅威である。

人類は今までに何度も、こうした流行病とも呼ばれる疫病にみまわれ、戦争による死者をも超える膨大な数の人々が命を落としていることは歴史に刻まれている。

古くは聖書の時代にも、イスラエル民族の自由な脱出解放を阻んだエジプトに、恐ろしい疫病がもたらされたと、出エジプト記にモーセによって記録されている。

さて、ネット情報によると、今回の新型コロナウイルスの拡散と脅威の中、ノーベル賞作家(アルベール・カミュ(1913~60)の傑作小説『ペスト』が、売れ始め、在庫が底をついて来ているとのニュースが目に入った。

一度学生時代に読んだかもしれないが、今回は電子書籍版を購入して、今夜から読み始めた。今が今だけに、緊張感を持って引き込まれている。

地中海に面した仏領アルジェリアの都市・オラン。おびただしい数の鼠の死骸が発見され、人々は熱病に冒され始める。ペストという「不条理な厄災」に見舞われた街で、人々はいかに生きてゆくのか──。

作中の牧師にとっては、神学的に全ては神が与えられし、ものだった。しかし、子どもの無残な死を目のあたりにして疑問を抱く。判事の子どもの苦しむシーンなど、それぞれが今まで信じて来たものを捨てなくてはいけない現実は切ない。

著者カミュの哲学的問い「人生に意味はあるのか」、この「不条理」について考えさせられる作品である。若い人たちにとっては訳文がやや硬いと感じるかもしれないが、味わい深い文体である。ぜひ一読をお薦めしたい。




2020年2月15日土曜日

物理学講義

                      

  
  犬たちとの散歩で見上げる常念岳や北アルプスの峰々の雪の量が、ここに来て例年並みになっているように見える。しかし、やや少ないかもしれない。

雪の量を何故心配するかというと、夏に泳ぐ清流の中房川の流れである。ロッキーと泳ぐにはやはり腰より深い流れがいい。  

さて、ここに紹介するのは物理学講義の本である。目次を以下に紹介しておきます。物理学に関心のある方には一読をお薦めしたい。

この本を読む前に、同じ著者の「がらりと変わって見える物理の本」を読んでおくといいかもしれない。こちらはごく簡単に短文でやさしく説明しているので読みやすい。このあとに「すごい物理学講義」に移るといいと思います。電子書籍でも読めます。

目次】はじめに——海辺を歩きながら第1部起源第1章粒——古代ギリシアの偉大な発見物はどこまでも分けられるのか?事物の本質——世界は原子からできている 

第2章古典——ニュートンとファラデーアイザックと小さな月——宇宙を支配する重力マイケル——場と光——電磁気力の発見第2部革命の始まり

第3章アルベルト——曲がる時空間拡張された現在もっとも美しい理論——一般相対性理論の魔法アインシュタインと数学の厄介な関係詩と科学の宇宙像 

第4章量子——複雑怪奇な現実の幕開けふたたびアルベルトニールス、ヴェルナー、ポール——量子力学の養父たち場と粒子は同じもの量子1情報は有限である量子2不確定性量子3現実とは関係である本当に、納得しましたか?第3部量子的な空間と相対的な時間

5章時空間は量子的であるマトヴェイ——最小の長さの発見ジョン——確率の雲ループの最初の歩み 

第6章空間の量子体積と面積のスペクトル空間の原子スピンの網——空間の量子の状態 

第7章時間は存在しない時間はわたしたちが考えているようには流れない脈拍と燭台——ガリレオの時間時空間の握り鮨スピンの泡——量子の時空間構造素粒子の標準模型世界は何からできているのか?第4部時間と空間を越えて

第8章ビッグバンの先にあるもの「先生」——アインシュタインとローマ教皇の過ち量子宇宙論 

第9章実験による裏づけとは?自然が語りかけていること量子重力理論につながる窓 

第10章ブラックホールの熱

第11章無限の終わり

第12章情報——熱、時間、関係の網第11章無限の終わり第12章情報——熱、時間、関係の網熱の時間現実と情報 第13章神秘——不確かだが最良の答え

                  

2020年1月20日月曜日

オリオン座に異変か?

                   
伊那高原でも安曇野でも、ぼくは夜空を見上げるのが好きだ。夜にロッキーと庭に出て、まず目に入るのが、オリオン座だ。オリオン座は、四隅に輝く星と、そのテニスコートの四隅の星のほぼ中央に、斜め左に線を引くように三つの星が輝き、さらにその下方にも小さな三つの星が斜めに薄く見える。

四隅の星で言えば、左下の星が薄い。ところが、少し前からネット上の星情報によると、左上の星が、昨年秋頃からの光が薄くなり、爆発を起こして消えてしまうような記事が目立つようになり、確認してみた。

しかし、専門家は、これを否定している。どのくらい遠い星なのか、きっと何万光年の単位かな?

月が爆発して消えれば、直ぐにでも分かるが、遥かに遠い星の場合、それを確認する前に、こちらの寿命が消えることになる。

まあ、天文の専門家が否定しているのだから、ぼくの存命中は、とりあえず、今のオリオン座を見上げ、神の御手の凄さ、素晴らしさを賛美して、眠りにつけることになる。

オリオン座はギリシャ神話の狩人オリオンがモデルで、ベテルギウスは右肩の赤い星(向かって左肩)。質量は太陽の約20倍、約1000万年の寿命のうち9割を過ぎたといわれている。





2020年1月1日水曜日

2020元旦 朝日新聞記事から

元旦の新聞は毎年、分厚くてドッシリと重い。しかし、記事の全てが重いわけではない。そんな中で二つの記事に目がとまった。まずはユダヤ人女性とアラブ人男性の結婚にまつわる話。ユダヤ教とイスラム教の異なる宗教者間の結婚である。興味のある方には一読に値すると思うので、以下にコピーを載せておきます。
                  

二番目は朝日賞を受賞した二人のDNA研究の最前線にわたしは興味があり、その朝日賞の内の二人の記事をここに載せておきます。


DNAは1953年にクリックとワトソンとう二人の生物科学者によって発見された。その後、世界中の科学者たちによる研究が急速に進み、DNAには、おおざっぱに言えば、四文字の組み合わせで、情報を書き込んだ設計図情報があり、その情報を読むめの言語を作る情報も書き込まれている。そこに書かれた設計図情報にアクセスし、再配列し、コピーし、翻訳することにより、必要な化学物質が集められ、人は人に、犬は犬に、猫は猫に、ぞうはぞうに生成される。この遺伝子の働きにより、植物も含む、地球上のあらゆる生命体が生み出され、地球上に広がったのだ。
偶然に偶然が無限に重なっても、言語情報を持たない単なる物質からは、いのち情報、言語化された遺伝子は出来ない。
言語の背後には、必ず意思と目的を持った知性がある。
たとえばモールツ信号でも、短点と長点、そして区切り(スペース)の三文字の組み合わせで、言葉情報を伝えられる。
また、アルファベット26文字の組み合わせでは40万語以上の単語を構成して、情報を伝えられる。
DNAは言語に相当するとの証拠がある。ヌクレオチドと呼ばれる4つの基礎単位(文字)が組み合わさって20ものアミノ酸の記号体系になる。これらのアミノ酸から身体は10万以上ものたんぱく質を形成する。このようにDNAは言語のあらゆる特性を帯びている。

現代の生物科学者は、この言語情報を持つDNA生命の背後に、知性があることを、誰も否定できなくなっている。
なぜなら、言語は知性からしか生まれず、いのち情報は言語からしか得られないからである。
この意味で、「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」とのヨハネ福音書1章1節の聖書のことばは真実であると言える。

しげちぁん

慈(しげる)という名前を、女の子がつけてもらった。でもこの名前は男の子の名前の様で好きになれなかった。小学校に入学した日に、男の子の名前の子は、水色の紙に、女の子の名前の子はピンクの紙に名前が書いてあり、そこに座るようになっていた。 先生は「しげる」と水色の紙に書いていた。先生は...