2016年12月31日土曜日

「置かれた場所で咲きなさい」

ネット産経新聞にカトリックのシスター渡辺和子さんの以下の記事があったので転載しておく。そうかー、89歳になってもなお大学の教壇にたって学生たちに語り続けていたんだなあ。このわたしも、講壇で倒れるのを願いながら、教会で語り続けたいと思う。




≪幸せに生きる心構えをつづりベストセラーとなった「置かれた場所で咲きなさい」の著者で、岡山市の学校法人ノートルダム清心学園の理事長渡辺和子(わたなべ・かずこ)さんが30日、死去した。学園関係者が明らかにした。89歳。北海道旭川市出身。死因などは不明。葬儀・告別式は2017年1月4日午前11時から岡山市北区天神町6の27、岡山カトリック教会で。
 父は1936年の二・二六事件で凶弾に倒れた渡辺錠太郎旧陸軍教育総監。56年にノートルダム修道女会に入会、63年にノートルダム清心女子大学長に就任。学校法人ノートルダム清心学園の理事長を務めながら、89歳になっても大学の教壇に立っていた。≫


もう一つ朝日新聞からも、その一部を転載しておきます。
 ≪16年9月まで学長や理事長の職務を果たしながら学生に講義を続けた。大学によると、13年に膵臓(すいぞう)がんと告知され、16年10月末から12月19日まで入院。退院翌日から勤務を再開していた。16年4月には朝日新聞の取材に対し、「学生たちの前で倒れることが一番の私の願い」と語っていた。その言葉通り、最期まで教壇に立ち、教育に尽くし続けた人生だった。≫

2016年11月3日木曜日

来月はクリスマス

主の年2016年は、あと二か月ほどとなった。一年の経つのは本当に早く感じる。来月はクリスマスである。孫たち七人へのクリスマスプレゼントを用意しなくてはならない。それとクリスマスカードの用意も必要である。このクリスマスカードを出した人以外から年賀状などが来たら、その返信用の年賀状も用意しておく必要がある。

安曇野にある教会では、12月18日(日)はクリスマスコンサート、25日(日)はキャンドルサービを予定しています。近隣の方はどなたも自由に参加ください。

2016年8月17日水曜日

星野道夫「旅をする本の物語」

nhkBSブレミアム  星野道夫「旅をする物語」はいい番組でした。いくつもの心に響く「いのち」の物語があった。
その中から、いのちがどの様に関わっていきているのかを探求する生態学者田邊貴子(37)の話は特にわたしの心をうった。


彼女は徐々に筋肉の自由を奪うを難病に苦しむ祖母と同じ遺伝子を持つ自分に気付き、「何のためにいきるのか」との思いが深くなり、「生きているのは何の意味もない」、「今自分が死んでもこの命は変わらないし、世界も変わらない」、「こうした虚無感というのはどんどんそこで強くなっていった」。


こうした頃に田邊さんは星野の写真や本に心を惹かれるようになっていった。そして彼女はアラスカに一人で旅に出た。そして二週間の旅の最終日、アラスカの大自然の中、湖のほとりで、日が傾いて行くのを眺めている時だった。


「まったくの前触れもなく涙が出て、心がザワザワザワザワとして、震えている自分がいた」。そして、彼女は「生きよう」と思った。虚無感は消えていたという。彼女は今、南極の海底に潜ったりして、生命の起源にもせまる生態学者として生きている。
以下の三枚の写真は、番組で放映された星野道夫さんの写真です。いい写真だなあ。


この番組で、この本に出会った人々を訪ねる小説家ドリアン助川さんは、星野さんのこの本について、「大自然を作り出しているもっと根源のなにかに触れて書かれている。」と語っていた。


「根源のなにか」とは、偉大なる存在者、宇宙物理学者たちもいうサムシンググレートのことであろう。わたしならハッキリと創造者なる神といってしまうけどね。
















2016年7月4日月曜日

イエスと共に

Christ is the Head of this house; the Unseen Guest at every meal; the Silent Listener to every conversation.


誰がこの英詩の作者なのか知らないが、いいなあと思います。家庭にあって、また学校や会社、電車の中、公園、犬との自然の中の散歩道にあっても、いつも共によりそっていてくださる方を感じることは、とても心が安らぎ、生きてゆく勇気や希望の源となります。

2016年6月17日金曜日

進化論は仮説

安藤和子理学博士がファーベストタイムの動画で「進化論はウソででっち上げられた仮説であり、その証拠を進化論を主張している科学者たちが必至で探している(化石)のが現状と語っている。
彼女は1939年大阪生まれ、大阪大学理学部化学科卒業・理学士/生物化学専攻。東京大学大学院博士課程にて理学博士。1969年、米国に留学(ニューハンプシャー州ダトマス・カレッジとミシガン州のウェイン州立大学、カリフォルニア大学)。京都インタナショナル・ユニバーシティ(KIU)名誉教授他。
彼女の講義で使われた画像を以下に載せておきます。



自然発生の確率は限りなくゼロに近い。






2016年5月6日金曜日

野の花を見よ

イエスは自然の中で、神の国について話された。人間の造ったどんな豪華な大聖堂も及ばない、天を天井とし、緑の草原を床とした自然の中で、青空を舞う鳥たちを指差し、野に咲く花を指差され、神の愛を教えられた。


我が家の庭に咲く薄ピンクの二輪のチューリップが、他のチューリップが姿を消した中、今年もまだ頑張ってわたしの前にある五月の連休の終わりです。

2016年4月25日月曜日

イースターの卵

今年のイースター礼拝は3月27日(日)でした。毎年イースターにはゆで卵を教会が用意して、それをきれいに包装したり、白い卵にメッセージを書き入れたりして出席者全員にプレゼントします。この卵を食べた人には、きっといいことがありますよ。礼拝は神様への感謝の時です。

2016年2月29日月曜日

弱い時にこそ人は強くなれる

【新共同訳】
出エジプト記3:11 モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
 3:12 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
【NKJV】
Exodus3:11 But Moses said to God, "Who am I that I should go to Pharaoh, and that I should bring the children of Israel out of Egypt?"
 3:12 So He said, "I will certainly be with you. And this shall be a sign to you that I have sent you: When you have brought the people out of Egypt, you shall serve God on this mountain."


モーセは40歳の時イスラエル人を奴隷状態から救おうと行動した。しかし、その結果はエジプト人を殺して追われる身となるものだった。そしてシナイ半島の北へ逃げた。


その地で彼は羊飼いとなり、四十年が経過し、妻と二人の子を得た。この時のモーセは八十歳になっていた。もう若くはなかった。


しかし、このモーセに神は、「今こそ、おまえはエジプトからイスラエル人たちを救い出し、脱出せよ」と命じたのだ。


弱くなった時、人は神により頼む以外に道はない。そして神が先立って働かれる時、人は強くなれるのだ。


そのしるしは、やがて結果として現れ、歴史となる。まさに出エジプトは歴史となり、シナイ山で神に仕えるというしるしは現実のものとなった。神の約束は100パーセントと現実のものとなり歴史となるのだ。

2016年2月14日日曜日

to maditate

【NKJV】
Gen24:63 And Isaac went out to meditate in the field in the evening; and he lifted his eyes and looked, and there, the camels were coming.


夕暮れは黙想の時、信仰の父祖アブラハムの時代も今も、信仰心のある人は朝に夕に、黙想の時、祈りの時を持ちます。
創世記24章63節においてイサクは野に出て神との対話の時を持っていました。そしてその祈りが終わらないうちに、イサクが目を上げると、自分の花嫁となるリベカを伴った一隊がやって来るのが目に入りました。


日本語聖書では夕方の散策の時と訳されていますが、英語聖書にあるように、to meditate(黙想するため)に野に出た夕暮れでした。


朝に夕に、神と対話する者でありたい。

2016年1月22日金曜日

みんなちがって みんないい

厳しく冷え込んだ朝である。ベランダに出していた犬用の水バケツは、底まで全部凍ってしまい、二頭の犬が表面の氷をなめていた。そして、雪の積もった我が家の庭に今朝はシジュウカラが姿を見せた。


風はなく青空が広がり、太陽光がキラキラと真っ白な雪に反射している。空気はキーンと冷たく張りつめている。そんな庭を眺めていて心に浮かんだ詩がある。金子みすずさんの「みんなちがって、みんないい」の言葉が響く詩である。


「私と小鳥と鈴と」    金子みすず


私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地べたを速く走れない。


私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。


鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、
みんないい。

しげちぁん

慈(しげる)という名前を、女の子がつけてもらった。でもこの名前は男の子の名前の様で好きになれなかった。小学校に入学した日に、男の子の名前の子は、水色の紙に、女の子の名前の子はピンクの紙に名前が書いてあり、そこに座るようになっていた。 先生は「しげる」と水色の紙に書いていた。先生は...