2019年7月23日火曜日

眠れぬ夜に藤沢周平作品二冊

                    
プールでの泳ぎ過ぎがたたり両足のふくらはぎから尻への付け根にかけて、強度の筋肉痛が起こり、一昨日の夜と昨日の夜はよく眠れていない。
そこで藤沢周平作品の中から、まだ読んでいなかった「静かな木」と「雪明り」の二冊を選び夜の静けさの中で、読了した。
正確にはユーチューブの朗読版に耳を傾け、寝床の中で、藤沢作品の情景描写に引き付けられ、まどろむことなく最後までイヤホーンで聞いてしまった。
「静かな木」はアマゾンの内容紹介には「藩の勘定方を退いてはや五年、孫左衛門もあと二年で還暦を迎える。城下の寺にたつ欅の大木に心ひかれた彼は、見あげるたびにわが身を重ね合せ、平穏であるべき老境の日々を想い描いていた。ところが……。舞台は東北の小藩、著者が数々の物語を紡ぎだしてきた、かの海坂。澹々としたなかに気迫あり、滑稽味もある練達の筆がとらえた人の世の哀歓。藤沢周平最晩年の境地を伝える作品」とあったが、大きな欅の木に自分の人生を重ね、また夕暮れて行く情景描写はさすがであると感じた。そして主人公に孫娘が誕生し、ついそちらの方へ足の向く情景が、同じ晩年を生きるぼくの心をとらえた。
「雪明り」の方も書き出しからして、雪が降り始める描写に引き込まれた。内容紹介には「貧しくも、明日への夢を持って健気に生きる女。深い心の闇を抱えて世間の片隅にうずくまる博徒。武家社会の終焉を予感する武士の慨嘆。立場、事情はさまざまでも、己の世界を懸命に生きる人々を、善人も、悪人も優しく見つめる著者の目が全編を貫き、巧みな構成と鮮やかな結末とあいまった魅惑の作品」とあった。
この筋肉痛は七日ほどに渡って、毎日ニキロほどを泳いだ結果であり、歳も考えずにオーバーワークであったのだ。ここ何日かは梅雨が明けたとしても泳ぎはひかえようと思っている。今朝は肩のあたりもやや痛む。家に置いてあった張り薬は、あちこちに何枚も張るので、終わってしまった。まあ、今よりひどくなったら医者に行って張り薬を補充しなければなるまい。薬局でまともに買ったらかなりの額になりそうだ。
しかし、筋肉痛のおかげで、深夜に藤沢周平作品に触れることが出来、これはこれで素晴らしい体験となっている。
                 


2019年7月13日土曜日

サリバン先生とヘレン

                  
安曇野市図書館から借りて来た「サリバン先生とヘレン」(光村教育図書)は的確な要約であり絵もいい。明日の教会礼拝で「子どもタイム」に教材として紹介しようと思っている。
この本の「はじめに」では概要が紹介されている。そして絵本の本文の方は、サリバン先生がヘレンの家を訪れた三日後から教育の内容を手紙につずり、サリバン先生が母親の様に慕うソフィア・C・ホプクンス夫人(サリバンがお世話になった盲学校の寮母)に宛てた内容を順次紹介しつつ記されている。

このサリバン先生とヘレンの講演をユーチューブで観られます。検索で「ヘレンケラーの肉声」と入力すると見られます(ライオンズクラブ国際大会でのスピーチ)。
この講演の中でヘレンケラーが発した「指言葉により、世界を知り、神を知ることが出来た」との言葉には感銘を受ける。
目が見えながら、聖書のイエスを見ず、耳が聞こえると言いながら、聖書の言葉に耳をかさない人々の何と多い日本であろう。ここにぼくの教会での使命がある。強く感じた。

闇の世界に救いの光が差し込み、ヘレンの魂は輝き始めたのです。ヨハネ福音書10章の生まれつき盲目であった男が、イエスによって癒された個所を礼拝で学んだばかりだったのでぼくは特に、感銘を受けた。もちろん以前からヘレンケラーについては知っていたし、井戸の冷たい水道水を手で受けた時、サリバン先生が指文字で知らせたwaterによってものには名前があることを知ったヘレンのことも知っていた。
しかし、改めてこの本は子どもから大人たちにぜひ一読をお薦めしたい。
                

2019年7月10日水曜日

ナチスの大虐殺から10万のユダヤ人を救ったスウェーデンの外交官

                  

昨日安曇野市図書館で目にして借りて来た「ワレンバーグ」Mニコルソン,Dウィナー著を昨夜の内に一気に読み終えた。


このワレンバーグのことを、ぼくはこの書を通して初めて知った。同じような働きをした海外駐在の外交官であった日本人の杉浦千畝は、リトアニアで1940年八月に、ビザと書類を英断によって発給し、約六千人のユダヤ人の命を救ったことは知っていた。

しかし、このワレンバーグの働きはさらなる驚きであり、感動する。終戦間際にソ連軍にドイツのスパイと間違われて逮捕され、それ以降の彼の消息はハッキリしない結末には、いろいろ考えさせられる。

だが、あの想像を絶する大虐殺から10万のユダヤ人を救った事実は残る。この本のタイトルにあるように「伝記 世界を変えた人々」の一人に違いない。
ぜひ、一人でも多くの人に一読をお薦めしたい。

この著書の85ページに、「ドイツ人たちが役人や権力者をとても尊重する傾向が強く、この当時の教育のあらゆる場で、権威をうやまうことをみっちりとしこまれていた」と記されています。

もう一点、終戦間際、彼はソビエト軍司令部に向かう。ユダヤ人たちの戦後支援の交渉に、スタッフたちの「危険だ!」という助言を振り切り、単身で出向いたのだ。ドイツの連中と交渉したのと同じスタイルで、多額の金と、宝石類、そして重要書類を大きなスーツケースに入れていたのだ。

33歳の若者の持つスツケースの中身を見て「こいつは、ドイツのスパイ」と思われたのだろう。

ソビエト人は「非常に疑り深い」という国民性を彼は見落としていたのではないだろうか。そうこの著者は書いている。

さて、日本人の国民性の特質はどうだろうか。みんながするからと、周囲の雰囲気に流される傾向が強いのではないだろうか。

                   

しげちぁん

慈(しげる)という名前を、女の子がつけてもらった。でもこの名前は男の子の名前の様で好きになれなかった。小学校に入学した日に、男の子の名前の子は、水色の紙に、女の子の名前の子はピンクの紙に名前が書いてあり、そこに座るようになっていた。 先生は「しげる」と水色の紙に書いていた。先生は...