2020年4月30日木曜日

夏近し 二つの思い

                     


今日の伊那高原は日中に20度を越えて、風のない場所では25度近くになっていたようだ。これで川の水温も上がれば川泳ぎも可能となる。

伊那高原では、駒ケ根まで出かけて太田切川、安曇野では中房川ということになる。いずれも西山から流れ下る清流である。

毎年、初泳ぎは五月の連休明け頃となり、この時に犬のロッキーが気持ちよさそうに泳ぐのにつられぼくも飛び込むことになる。しかし、その冷たさに、直ぐ上がり、暑く熱した大石の上にへばりつくことになる。

どうだろう、コロナウイルスたちは、夏には姿を消してくれるだろうか。海にも行きたい。泳ぎの出来ない夏なんて考えられない。

 もう一つ英国の牧師 davidw pawsonの説教スタイルに感化を受け、視聴覚においても工夫しようと、夏を前に思い立ったのだ。

早速アマゾンで、三脚を3.400円で購入し(写真は黒だが、ぼくのは白)昨夜届いたのを組み立てた。次回説教から、地図や自分で描く絵などを一枚~二枚用意して説教に立体感というか、具体性を持たせたいと考えている。

子どもタイムでは、絵本やその他を教材にしたか、デビッド・パーソン牧師に影響され、踏み出すことにした。壁への映写方式も考えたが、このデビッド牧師の方法が、ぼくにはよさそうだ。さあ、この夏に向かってチャレンジだ。
                  




2020年4月20日月曜日

電子書籍の時代を歓迎する

                  
コロナウイルスで室内にいる時間が多くなる人々の、過ごし方の一つに読書があるが、書店に行かずネットで注文し、一分以内に電子書籍のファイルが、手元の端末に届き、直ぐ読み出せる利便性は高い。

それと私の場合、小さな文字より、自由に適度な大きさの文字に調節し、読める電子書籍はありがたい。本箱のような置き場もいらない。

今まで電子書籍版にしなかった作家や出版社も、今回電子書籍に踏み切るところも出て来て大いにわたしは賛成である。4月24日から、ミステリー作家の東野圭吾作品の何冊かが電子書籍で発売となるようだ。

そこで、彼の代表作といわれる一冊を購入することになりそうだ。それは「白夜」である。

書籍内容紹介に「1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々と浮かぶが、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と「容疑者」の娘・西本雪穂――暗い目をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別の道を歩んでいく。二人の周囲に見え隠れする、いくつもの恐るべき犯罪。だが、証拠は何もない。そして19年……。伏線が幾重にも張り巡らされた緻密なストーリー。壮大なスケールで描かれた、ミステリー史に燦然と輝く大人気作家の記念碑的傑作。」とある。楽しみである。


2020年4月8日水曜日

コロナウイルスの正体


安曇野にある豊科教会の庭の三本の桜が、今週末にはほぼ満開を迎える。例年より一週間程度早い気がする。
                    




さて、今、世界中を恐怖に陥れているコロナウイルスに関する記事が、朝日新聞DIGITAL版にあったので、その一部をここに載せておきたい。

青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さんが解説する「ウイルスとは何か、そしてわたしたちに感染するメカニズムはどうなっているのか」。

【ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。

今、世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルスは、目に見えないテロリストのように恐れられているが、一方的に襲撃してくるのではない。まず、ウイルス表面のたんぱく質が、細胞側にある血圧の調整に関わるたんぱく質と強力に結合する。これは偶然にも思えるが、ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とにはもともと友だち関係があったとも解釈できる。それだけではない。さらに細胞膜に存在する宿主のたんぱく質分解酵素が、ウイルスたんぱく質に近づいてきて、これを特別な位置で切断する。するとその断端が指先のようにするすると伸びて、ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ、ウイルスの内部の遺伝物質を細胞内に注入する。かくしてウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだが、それは宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。】

しかし、私の場合、いや、みんなもそうだと思うけれど、今回のコロナウイルスくんを、宿主の総元締めの私の許可なく招き入れてほしくないなあ。

しかし、考えて見れば、宿主の総元締めと言ったって、全部体たちにまかせて、このわたしは生きて来たし、今も生かされているわけだ。よくやってくれている自分の体に感謝こそすれ、文句なんか言えないよな。
                  

2020年4月2日木曜日

タマ、帰っておいで

                  
昨日の朝、伊那高原の我が家に出入りしていたらしい野良猫の事で、悲しいことがあった。人間の罪の深さに絶望感さえ覚える。

そして一日後の今夜、イラストレーターの横尾忠則さんが、91枚からなる猫を描いた本を出版したとのニュースが目にとまった。

ヤフーニュースは、【「タマ死す。愛の対象の不在と喪失感に現実はあってないも同然」と、画家・世高忠則がツイッターでつぶやいたのは、2014年6月2日11時16分08秒のことだった。その二日前(5月31日)に、15年ともに暮らした愛猫タマを亡くしたばかりの彼は、そこから堰を切ったように連続投稿。】から始まり長い。以下に要点のみ載せておきます。デスマスクからはじまったタマの絵。

 以降、単なるアート作品としてではなく、タマへの愛を込めて〈自分のためだけに〉描き続けた絵は、91枚もの大作になっていく。書にはその全作品が収められ、一枚一枚に創作年がクレジットされている。

 日記とは別に、タマの絵91点を観たあとに、あっと驚く「あとがき」が待っている。このあとがきについては、種明かしはできない。ヒントも出せないが、横尾のペットロスと言われる深い喪失感、絶望感からの見事な再生に清々しい思いで読了した。

 ところが、だ。満足して本を閉じた瞬間、表紙に刷られたタイトルに不覚にも涙がこぼれた。

 『タマ、帰っておいで』。

 これは、癒えてもなお永遠に続く、横尾の心の声ではないか。タイトルは読後のためにもあることを、本書は教えてくれる。


「この絵はアートではない。猫への愛を描いた」――は横尾忠則さんの言葉だ。
 
横尾忠則…1936 年兵庫県生まれ。1972 年にニューヨーク近代美術館で個展。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロ、バングラデシュなど各国のビエンナーレに出品し世界的に活躍する。アムステルダムのステデリック美術館、パリのカルティエ財団現代美術館での個展など海外での発表が多く国際的に高い評価を 得ている。2012 年、神戸に横尾忠則現代美術館開館。2013 年、香川県豊島に豊島横尾館開館。2015 年、第27 回高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

書店で手にして、じっくり立ち読みしたいと思う。そして、このニュースには記されなかった。あとがきをぜひ読みたいと思う。猫だって、犬だって、みんな不滅の魂があるのだ。なにも人間だけが特別な生き物ではないのだ。聖書を読めばハッキリわかる。人間は地獄に行く可能性はあるけれどね。
                





しげちぁん

慈(しげる)という名前を、女の子がつけてもらった。でもこの名前は男の子の名前の様で好きになれなかった。小学校に入学した日に、男の子の名前の子は、水色の紙に、女の子の名前の子はピンクの紙に名前が書いてあり、そこに座るようになっていた。 先生は「しげる」と水色の紙に書いていた。先生は...