2021年12月28日火曜日

犬たちからの贈り物

 

今年も後わずかである。毎年の事だが、少しのんびり出来る時である。妻は何かと忙しそうであるが、ぼくはロッキーがいなくなり、一人での散歩に出る。今日は風が冷たく強い風で、体が持っていかれそうになる。

歩くといことを、犬たちから学んだ。歳も歳だし、体を意識的に動かすことが必要になって来た。毎日、風か吹いても雨が降っても、例え吹雪になっても欠かさない。でも不思議なもので、何十年とやって来ると、体が自然とそうなって行く。

散歩であるから、距離も時間も知れいる。コースによっては、三十分の時もある。多い時でも一時間を超えることはない。毎日が大切なのだ。もう体に沁みついている。

ここに載せたのは、ユージン・ミラーというアメリカの報道写真家のものである。幼い兄と妹が手をつなぎ、歩いている平和な写真である。歩くということは、人間の原点のような気がする。ぼくは、犬がいなくなってからも、伊那高原で、安曇野の自然の中を歩き続けようと思う。


2021年12月3日金曜日

暮れに読む本


安曇野地方は寒さが厳しくなって来ました。見上げる北アルプスの峰々は、すでに真っ白です。散歩で出る道からはパノラマとなって見事です。

今年もあと、一カ月になりました。ここ紹介本は三浦綾子の本ですが、すでに読まれたかたも多いと思いますが、何度読んでも、いろいろと教えられることが多い。



2021年11月3日水曜日

病める時も

 


従姉を見舞った帰りの洞爺湖温泉で、明子は医学生・克彦に出会う。2人は婚約するが、明子が肺結核を患ったため結婚は先送りに。やがて明子が回復し、克彦の結核菌を殺す薬の研究が成功して喜びにひたったその夜、克彦の研究室が火事で全焼してしまう。苦労が水の泡となり、克彦は激しい衝撃を受ける…。神の前で誓った愛の重さを問う表題作ほか、愛に飢え傷つきながらも前に進もうとする人々を通して人生を描いた傑作短編集。

三浦綾子の小説である。実生活でも病との闘いがあったが、それをベースに書かれているように思う。いつも思うのだが、彼女の作品には信仰が深くかかわっているように思う。まだの方にはお薦めの一冊です。



2021年10月27日水曜日

我が谷は緑なりき


久し振りにBSで映画を観た。1944年はわたしの生まれた年である。その3年前の1941年に作られた映画である。
しかし、時代を越えて、伝わるものがある。炭鉱のロンの谷の物語である。少年が主人公と言うわけではないが、この少年を軸に話は展開していく。

それと、バックにある古い体質の教会の姿も良く描かれていた。少年は冬の池で事故に会い、その後遺症で、全身の痺れ、足が思うように動かない。見舞った牧師が「来年の春には、ぼくと野に出て、美しい自然の中を散歩しよう」と 約束する。

それまでは「宝島」のこの本でも読んで、のんびり過ごせばいい。そう牧師は少年に語りかける。そして春が来て、牧師の言った通りになる。いい映画である。アカデミー賞の何部門も受賞している。

白黒の画面も荒らいし、昔の映画だが、心を打った。

                                                       




2021年10月1日金曜日

はたおリスの冒険

暑い夏も、終わり秋である。安曇野の田んぼは、もうほとんど稲刈りは終わり、稲株だけが並ぶ 一面の景色となつている。ここに紹介の本はシートン動物記の本である。冬を前に、森では動物たちは、これからの季節に備えて、餌集めに、大忙しの事と思うが、頑張ってほしい。シーイトン動物記は、どれを読んでも、感動する。それは動物たちが、自分の持っている、いわば神から与えられた、力と知恵を生かして、この自然に、チャレンジして行く姿に、ぼくはいつも感動する。ネコのおかあさんに育てられたハイイロリス。飼われていた農家が火事になり、ひとりぼっちに。自分の生まれた森の中で、さまざまな苦難をのりこえてたくましく成長していきます。



2021年9月1日水曜日

「目はかすまず 気力は失せず」

 


神学校で「説教学」を学んだ恩師、関田寛雄先生から本が贈られて来た。先生の40年余の間に語られた講演・論考・説教を収録している最新刊「目はかすまず 気力は失せず」(新教出版)である。

先生は90歳になられ、なお活躍されている。モーセのごとく、謙虚で、活力に満ち、差別や社会弱者のために今も闘っておられ、尊敬する恩師である。

このぼくも、92歳まで現役で頑張りたいと神さまにお願いしている。何故92歳かというと、影響を受けた英国のある牧師が92歳まで闘いぬいたからだ。

しかし、ここに来て、目先の細かい文字がかすみ、「あれー、俺視力いつも1.2でいいはずなのになー」と思って、眼科で聞いたら「老眼です。早い人は40代から」というではないか。そうかメガネかけて新聞読んだり、本読んだりしてる人は視力のわるい人だとおもっていたが、老眼はまた違うんだと、77歳の今に気づいた。

そこで100均+1.0のメガネを妻から借りたら、かすんでた聖書文字がバッチリ見えるではないか。大きな喜びである。

さて関田先生の本を読み始めたが、「使命とは命を使う事」とか、神は言葉によって「在れ」と言われて被造物全てを存在させた聖書の言葉から、ぼくという存在もまた、神の言葉への応答として在ることに気づかされた。

やー、ぼくが幾つになろうが、恩師は恩師だなーと感動している。この本一冊読み終え、理解した時に、もう一つぼくも神の御心に近づけるに違いない。みなさんにもお薦めの一冊です。



2021年8月20日金曜日

いぬのせんせい

 

安曇野地方、夏休みが終わり、登校する子どもたちの姿が見られます。一週間ちかく大雨が日本列島各地を襲い、災害もでました。
犀川も濁流で増水し、ロッキーとまた川下りで泳ぐまでには、まだ数日かかるかもしれません。さて図書館で目にして借りて来た絵本。医者だけが、看護師だけが病気の子を癒せわけではありません。
この絵本には、医者や看護師にも、薬でもなおせない、子どもたちの大切な「心」を癒す不思議な力を持つ犬が主人公です。みなさんもぜひ一読下さい。

「重い病気をかかえる子どもたちの病棟に通い続ける白い犬「せんせい」のお話です。 「せんせい」が子どもに寄り添うことで、子どもたちには笑顔が戻り、不思議なことに具合がよくなっていきます。 ある日、保健所の検査官がやってきて、病棟への犬の立ち入りを禁止してしまいます。「せんせい」は病院の外でしょんぼりし、子どもたちはとても寂しがりました。そんなある日、入院中の小さい女の子の病状が悪化します。女の子は、犬を追い出した検査官の子どもでした。「せんせい、おねがい」看護師さんは病院の裏口を開け放ち、「せんせい」を招き入れます。翌朝、検査官のお父さんが見舞いに行くと、女の子は目を開けて微笑むほどに回復していたのです。 ロンドンの病院に実在したファシリティドッグの活動を描いた心温まる絵本です」。


2021年8月15日日曜日

「義に飢え渇く」人々に救いはあるか


 連日の大雨で、安曇野の犀川や伊那の天竜川も氾濫の危険水域まで増水している。ぼくとロッキーが川下りするのに適した水位と水質に戻るのに何日か待たなければならない。今週末には暑さや夏空が戻り、水位も正常になったら、またロッキーと川下りを楽しみたいと思う。

ここに紹介した絵本は、図書館で目にして借りて来た。アメリカの黒人差別の中にあった少女が、自由に入れる場所、図書館に出かけた実話に基ずく絵本である。差別は受けた者でないと、その屈辱と悲しみは分らないだろう。義に飢え渇き、勇気と希望を失わず生きた黒人女性がアメリカにいたのだ。こうした差別はアメリカだけでなく、世界中に今もある。

ぼくの住む安曇野には、松本城時代、他府県に比べ、酷く高い年貢を要求され、農民は食べていけない、生活できない状態に追い込まれた。地元の多田加助 【ただ かすけ1639-1686年 】安曇野市三郷(中萱)生まれは、命を懸(か)けて農民の声を訴えた。

凶作と疫病により餓死者も出る中、松本城主、奉行所に五か条の訴状を提出して年貢の軽減を求めるが、叶わず、藩の欺きにより首謀者として加助以下8名がはりつけの刑に処せられた。その墓もある。


 

1684年(貞享元)、毎年続く凶作から農民の生活はごく貧しいものでした。農民の悲願を受けた庄屋の多田加助が年貢の軽減を長尾組の組手代に申し出ますが受け入れられず、松本藩に陳情したことによって、庄屋の身分を取り上げられます。


さらに2年後、凶作と疫病が同時に民を襲い、餓死者も出たために、加助は近くの神社(現在もある)の拝殿で12人の密議のうえ年貢軽減の「5カ条の訴状」を松本城下郡奉行に提出します。このことを知った松本平の1万人もの農民が、竹槍をもって城に押し寄せる騒ぎにもなったのです。

聖書には「義に飢え渇く者たちは幸いである」と のイエスの言葉がある。正義を求めても時代の権力者たちに得られない時、人は何処に訴えたらいいのか。

松本城時代、義に飢え渇いた多田加助たちの声は、たとえ殺されても、歴史の闇の中に消え去っていくのではなく、天に届いている。歴史としてただ流され消え去るだけではないと聖書は明確に語る。正しい裁きの時が必ず来るのだ。

死んだ後では遅いと思う。殺された後では遅いと思う。しかし、「義に飢え渇く者たちは幸いである」とイエスは明確に語った。裁きと救いは時を越えて必ずある。これが聖書信仰である。

安曇野にある多田嘉助記念館に、ぜひ足を運んでみましょう。松本城見学もいいが、「義に飢え渇き」農民たちと共に苦しみ、そして命を落としていった義人たちにこそ、心を向けてほしい。
 


 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月13日火曜日

夏休みの出会い

犬たちとの散歩。四季折々の自然の中で出会う人や犬や鳥たちなど。特に犬好きの方と出会うと話が弾む。時には、亡くなった犬の思い出話や、事故で失った息子(28歳で)さんに懐いていた黒のラブラドール犬が、突然愛する人が消えたことのショックで,毛の色が白になったなどの話も聞き、もらい泣きも。

夏は普段出かけない海などへも。時には山間部にある日帰りの温泉宿にも。そうした中での人々や犬、自然の鳥たち、時にはサルの群れや鹿との出会いもある。

ここに紹介の絵本は、「家族みんなで旅にでたバロチェは、旅先で友だちができるかどうか気になってしかたありません。「友だちがいなかったら、あたし、かえる!」そんなバロチェに話しかけてきたのは…。そこへやってきた男の子。でも、何を言っているのかバロチェには全然わかりません」。さあどうなる…。

この夏、みなさんにも素敵な、また感動する、輝く出会いがあると思います。散歩のような小さな旅から、少し遠くへの旅、よい思い出の夏休みになるといいですね。

そして絵本との出会いが、近くの図書館での素敵な出会いがあるかもしれません。




2021年6月13日日曜日

夏休みを前に すべての子どもたちに

                  


先週は夏日の晴天が続き、涼しい午前中にやるべきことを済ませ、気温の上がる昼過ぎには中房川へ出かけ、ロッキーと短時間だが下流へ泳ぎ下る一時をほぼ毎日楽しんだ。

中房川の高い土手に上ると、そこから安曇野の日赤病院や子ども病院の建物の上部が、わずかながら見える。そのつどふっと思い出すのが、こうした病院施設で、一日を過ごす人々のこと、特に子どもたちのことである。

                 



ここに紹介するのは、様々な病気のため、幼稚園や小学校などへも行けず、健康を奪われた実在の小学校低学年の女の子を主人公と した絵本です。

「札幌に暮らす小学3年生の主人公は、生まれたときから脳神経の病気で入退院を繰り返している。入院するとしばらくベッドの上での生活となる。お母さんは一緒にいてくれるが、放射線を使った治療のときは、ガラスを隔てて別々になる。家ではお兄ちゃんが鍵っ子になる。申し訳ない気持ちだ。どうして自分だけが病気なんだろう・・・。そんなある日、海音ちゃんは、病室で大発見をする。わたしはひとりぼっちじゃなかった! 実在の小学3年生が書いた 「子どもノンフィクション文学賞」(北九州市主催)の大賞受賞作品が絵本に」。

ベットの上で日々を送る子どもたちにも、そしてもうすぐ来る夏休みを楽しみに、今日もランドセル背負って自由に学校へ通学する健康な子どもたちにもお薦めの一冊です。

健康で、元気に今日を生きられることは、決して当たり前のことでないんだなあ。あらためて、目覚めさせてくれる感動の一冊です。

                   



2021年5月19日水曜日

いつも ぎゅっと そばに

 


この絵本「いつもぎゅっと そばに」(女子パウロ会出版)は、人の幸せの根幹に触れる、とてもいい絵本だと思います。

この絵本紹介が以下のように書かれています。
 
「きみがこまったり心配だったりするときも、わたしはずっときみを愛している。神さまもそうなんだよ」――優しい言葉とあたたかい絵がひとつになって、親から子へ、おとなから子どもへ、どんなときも、いつもずっと愛されていることを力強く伝えます。大人になっても覚えていてほしい、心安らぐメッセージ。英語原文つき。

この梅雨の季節に体調を崩す人は多いようです。そんな時はあせらずに、雨の音を聞きながら、こんな絵本を読んで、心も体も休めれば、必ず元気に立ち上がれる時が来ます、紹介文にあるように、神は、あなたのことを、全て知っておられます。一羽の雀さえも、個別にしっておられるのが、聖書の神なのです。 



2021年4月23日金曜日

日が長くなりました ゆったりした時間を大切に

                 


ゆったりと した暮らし。時計は全部の家庭にはなかった時代、日の出とともに朝の活動を開始し、日が暮れて、家族が灯の下に集まり、一日を終える。

こうした「ゆとり」を忘れ、人々は、何かに追われるように忙しくしている現代。この「忙」しいの字体が示すように、心を亡くした状態になっていないでしょうか。

この絵本「よじはん よじはん」は、小さな女の子が母親から、時計のある家に行って、「今何時かを」聞いてくるように言われます。たずねられた家の親切なおじさんは、どれどれと柱時計を見に行き、「よじはんだよ」と言います。

女の子は忘れないように「よじはん、よじはん」言いながら帰る途中で、足元の草花や、自由な犬や小鳥たち、さまざまなものに,心を寄せ,関わり、ついつい道草をして過ごしてしまいます。でも時々「よじはん、よじはん」と忘れないように繰り返します。

やがて日が傾いて来ます。そこで少女は急いで家に帰り「おかあさん、よじはんだよ」と伝えます。何といい絵本でしょうか。ぼくは今年77歳。妻と二人の暮らしの多い身です。のんびりと、主に使える田舎牧師として、心を亡くさない日々を過ごしたいと思う。

 

 


2021年4月9日金曜日

日本という国 聖書の神が愛する国

                    


 聖書の世界からは遠くとおく離れた東の果ての日本。神の声が、福音が一番遅れて届くような、神から見離されたような国。

しかし、どっこい。神の愛は届いています。イスラエル国家から見た、うらやましい春、夏、秋、冬の四季折々の素晴らしい自然。おいしく冷たく澄んだ水を一年中みんなが飲める国、人情も細やかで、日本昔話にあるような、おだやかな風土。四方が海で、敵国が攻めにくい国、いろいろと日本はイスラエルと比べると利点も多い国なのだ。

聖書の神は、イスラエル民族同様に、日本人をも深く愛しておられる。その証拠の代表が、この春の自然の素晴らしさだ。夏もそうだ、秋もそうだ、冬もそうだ。こんな風景や自然は、イスラエルにはない。中東にはない、エジプトにもない。遅くは届いたが、聖書の福音は確実に、ここ日本人にも来ているのです。聖書を読みましょう。教会に出席してみましょう。キリスト教関連の本も読んでみましょう。聖書の神の声に耳を傾けましょう。

 桜が咲きはじめると、道行く人々は足をとめ、その数日間は花に心を寄せます。天気に一喜一憂し、そわそわしながら満開になっていく桜を心待ちにするのはどうしてなのでしょう。いっせいに咲く桜の花には魔法のような力があるのかもしれません。満開の桜の背後に神の愛を感じませんか? ぼくは涙がでるほどかんじるなあ。歳のせいばかりじゃないよ。

2021年3月19日金曜日

カナダから響いてくる 少女のうたごえ

 

春は陽光のみで、風の冷たさが厳しかった安曇野だったが、今日3月19日は、気温も上がり、犬たちとの散歩では襟巻や手袋は必要なかった。

田園の田んぼの土手に腰をおろして青空を見上げ、北からゆるやかに吹いてくる風が心地よかった。まだ小さな春麦の緑が輝き始め、ひばり声が青空の中に響く。 

安曇野図書館新刊本コーナーで、カナダ人作家絵本の絵がいいので借りて来た。カナダの山間地の冬。スクールバスの来る大道路までは、白樺などの林の雪斜面を一人で下る少女。

でも大丈夫、彼女は歌が好きなのだ。山の動物や鳥たちも、その歌声を聞いてくれる。カナダの冷たくしかし、新鮮な風がこちらの心にも爽やかに吹き寄せるような絵本です。

仲間たちがいっぱい乗っているスクールバスに乗り込んだ時の六歳の少女の絵はとくにいい。



2021年2月27日土曜日

ロッキーの右耳腫れる

散歩から帰った後のこと、事務所で妻がロッキーの右耳が腫れているという。触ってみると耳たぶというのかな、触ると水がたまったフーセンのような感触。

すぐかかりつけの動物病院へ。すぐに「耳介血腫」と判明。放っておいても治る可能性があるというが、せっかくなので血をぬいてもらった。そのあとステロイドを注入。これでたぶん大丈夫とのこと。治るとその部分が、柔道の選手の耳の様にボコボコした感じになるとのこと。

ゴールデンで12歳は長生きの方だと言われた。しかし、白内障が現れ始めているようだ。まあ、ぼくも同じだけど。お互い頑張って長生きしような、ロッキー!

 

2021年1月29日金曜日

1000羽を超すコ白鳥&犀川上空で鳶の恋の季節

                     


犬たちとの散歩で犀川の西岸土手上の道を散歩。川幅がすごく広い犀川は本流の他に支流が出来、両岸沿いや中央部にも盛り上がった州がある。両岸沿いの一段高い中州は林が広がり、その木陰の道も散歩に最適である。

ついこの前、寒い日だったが驚いた。鳶(とんび)の数が異様に多い。10、20、50、いや100羽はいる。

川の流れや中州の上を低く高く飛翔する姿にぼくは大喜び。目の前すぐ近くまで下りて来る大きな鳶もいる。プードル犬のクララが取り去られそうで妻が心配するほどだったが、大型犬のライオンのようなゴールデン犬ロッキーくんやゴリラのようなぼくもいるから大丈夫。

この鳶の集結は、春の恋の集団お見合いで、それぞれが相手を探すために、上空にタワーのように集まる「タワーリング」という習性のようだ。ニ三日で相手が決まり、やがて卵を産み、春の子育てに入るのだ。

教会の広い庭でも同じような姿が見られる。樹齢70年を越す桜の大樹三本、二階の屋根を越すまでに育ったヒマラヤ杉二本、常緑樹の大きなロビンや他の樹木もある草原状の庭には、今度はヒヨ鳥たちが早朝から20、30と低く高く、飛ぶ姿が事務室の南と西の窓の外を、サーッと行きかう。

日により、時間により、雀の集団も見らる。雀の集団は、犀川東岸のゆるやかな長い土手斜面で、数十羽の集団があちこちに見られた。散歩で歩く土手の足元から、次々と飛び立つ雀たち。教会の庭でも何グループかの雀集団の姿がこの前から見られ、この春には親雀が幼い子雀に嘴で雑草の実を与える姿を、また身近に見られると思うとうれしい。

また、東北や日本海側の積雪が多いため、積雪のない安曇野へのコ白鳥たちの飛来が例年よりぐんと増え、野鳥の会集計では1000羽を超えたらしい。

犀川西岸の下一面に広がる田んぼのあちこちに、こっちに20、あっちに50羽というように白い姿が普通に見られる。田んぼの中を貫く農道を車のスピードを落として近づき、近くでコ白鳥たちを見られる。頭や体が灰色をしたのは幼鳥である。よく頑張ってシベリヤからの4000キロを超える旅に耐えたなーと毎年感動する。

寒い日もあるが、安曇野の空気は春近しを感じさせるようになっている。






2021年1月14日木曜日

感染抑止(ステイ)か経済(ゴー)か 第三の道を忘れるな

この前の猛烈寒波から一転して、昨日今日と日中の気温は十度を越えて、青空の下の犬たちとの散歩は気持ちよく、小鳥たちもさえずっていた。太陽光の当たる顔などはポカポカと春のようだった。

帰りに田園の中にあるスーパーの書店で「サンデー毎日」の一番後ろ、五木寛之さんのエッセーを立ち読みした。

チエノブイリ原発事故は今も記憶に新しい。決して過去の事ではなく、日本にも起きた。この原発事故の時、ロシアでは、急にキリスト教会へ行く人が増えたという。




ウクライナ語で「チエノブイリ」の意味は「にがよもぎ」であり、これは聖書ヨハネ黙示録に出て来る。黙示録8章10節に「第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川という川の三分一と、その水源に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい。水の三分一が苦くなって、そのために多くの人が死んだ」とある。

原発事故を天からの「警告の裁き」と、とらえ、今一度自分たちの生き方を、神中心の基軸へと修正しようとの行動だったのだ。

ぼくも、毎月発行している「教会ニュース」一月号に書いたが、感染抑止か経済の二者択一ではなく、第三の、最も大切な道「誰に生かされ、人類は地球上に歴史を刻んでいるのか」に目を向けるべき警告の一つが、今回のパンデミック(全世界的)疫病であろうと、イスラエル国家の歴史を例に記した。

神を忘れ、悪に走ったイスラエル国家への、悔い改めを迫る警告の災害をアモス書を中心に、まとめると大まかに七つの災害がある。そして今後もあることを示唆している。1  食糧難 2水不足 3 動植物の疫病 4 人の疫病 5 稲妻による火災 6 地震 7  国土と家族を失い亡命生活へ。

日本では仏教界も、キリスト教界も、五木さんが指摘しているように沈黙している。首をすくめているばかりだ。宗教的発言が聞こえてこない。

感染抑止(ステイ)か、経済(ゴー)か、だけではなく、第三の神への立ち返りの道こそがもとめられているように、牧師のぼくは強く感じる。







しげちぁん

慈(しげる)という名前を、女の子がつけてもらった。でもこの名前は男の子の名前の様で好きになれなかった。小学校に入学した日に、男の子の名前の子は、水色の紙に、女の子の名前の子はピンクの紙に名前が書いてあり、そこに座るようになっていた。 先生は「しげる」と水色の紙に書いていた。先生は...