2016年2月29日月曜日

弱い時にこそ人は強くなれる

【新共同訳】
出エジプト記3:11 モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
 3:12 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
【NKJV】
Exodus3:11 But Moses said to God, "Who am I that I should go to Pharaoh, and that I should bring the children of Israel out of Egypt?"
 3:12 So He said, "I will certainly be with you. And this shall be a sign to you that I have sent you: When you have brought the people out of Egypt, you shall serve God on this mountain."


モーセは40歳の時イスラエル人を奴隷状態から救おうと行動した。しかし、その結果はエジプト人を殺して追われる身となるものだった。そしてシナイ半島の北へ逃げた。


その地で彼は羊飼いとなり、四十年が経過し、妻と二人の子を得た。この時のモーセは八十歳になっていた。もう若くはなかった。


しかし、このモーセに神は、「今こそ、おまえはエジプトからイスラエル人たちを救い出し、脱出せよ」と命じたのだ。


弱くなった時、人は神により頼む以外に道はない。そして神が先立って働かれる時、人は強くなれるのだ。


そのしるしは、やがて結果として現れ、歴史となる。まさに出エジプトは歴史となり、シナイ山で神に仕えるというしるしは現実のものとなった。神の約束は100パーセントと現実のものとなり歴史となるのだ。

2016年2月14日日曜日

to maditate

【NKJV】
Gen24:63 And Isaac went out to meditate in the field in the evening; and he lifted his eyes and looked, and there, the camels were coming.


夕暮れは黙想の時、信仰の父祖アブラハムの時代も今も、信仰心のある人は朝に夕に、黙想の時、祈りの時を持ちます。
創世記24章63節においてイサクは野に出て神との対話の時を持っていました。そしてその祈りが終わらないうちに、イサクが目を上げると、自分の花嫁となるリベカを伴った一隊がやって来るのが目に入りました。


日本語聖書では夕方の散策の時と訳されていますが、英語聖書にあるように、to meditate(黙想するため)に野に出た夕暮れでした。


朝に夕に、神と対話する者でありたい。

しげちぁん

慈(しげる)という名前を、女の子がつけてもらった。でもこの名前は男の子の名前の様で好きになれなかった。小学校に入学した日に、男の子の名前の子は、水色の紙に、女の子の名前の子はピンクの紙に名前が書いてあり、そこに座るようになっていた。 先生は「しげる」と水色の紙に書いていた。先生は...