2019年10月2日水曜日

一枚のメモメッセージ

                   
やや暑かった一日の終わり、暮れて行く窓の外にまだきれいに咲いている花壇の色鮮やかな花々を見ていた。この春先に庭に来る蝶たちのことを思って植えた。

少し奥の方に目をやると、紫の小さな花をいっぱいつけたファーブも目に入った。昨年の11月頃だったろうか、庭の草刈りをしていて、このファーブをみんな刈ってしまった。その時小さな蜂が低く逃げていく姿に、ぼくは「しまった!」と思った。

庭には、その花しかなく、「逃げて行ったあの蜂は明日から他の場所で蜜を探さなくてはならないんだなー」と思った時、ぼくの心は後悔で悲しくなった。
それで、今年は何回かの草刈りでは、このハーブを決して刈らないで残しておいた、だいぶ増えて、良い香りを放っている。小さな蜂も時々姿を見せる。
このハーブは11月中旬頃まで小さな青紫の花をつけて、寒さにも強いようだ。そんなことを思っていた。

そして手元のスマホを手に取り、ヤフーの今日のニュース項目をザーっとスライドしながら見て行った。ふと目に留まったのが、ツイートに投稿した台湾の女性のものだった。以下に全文と写真を載せておきます。

大学生向け匿名掲示板「Dcard」に投稿された内容だ。ある女性がバスでアルバイトに向かっていた時だった。
家庭のことで落ち込んでいた女性は、音楽を聴きながら思わず泣いてしまったそうだ。他の乗客に変な目で見られていたのではないかと心配したが、バスを降りる際、見知らぬ男性からメモを渡されたという。

しかし泣き顔を見られないように急いで降りたため、相手の顔はよく見ず、軽く笑みを返しただけだった。
女性が仕事を始める前にメモを開いてみると、そこには励ましの言葉が書かれていた。
「私もよくバスで泣くことがあります。君が泣いているのを見て心が痛くなった。どんなことがあったとしても、きっと良くなるから! 傷ついてもいい。でも、その後は楽しく過ごそう。あなたに幸せが訪れますように」
これだけでも十分心温まるメッセージだが、女性はメモを裏返して、また泣きたくなってしまったという。それは心療内科の領収書で、男性の名前や年齢、処方された薬が記載されていた。処方されたのが睡眠薬や抗うつ剤だったことに感じ入った女性は、投稿の最後に「あなたもとても悲しんだことがあったのでしょう。傷ついてもいい。でもその後は楽しく過ごしましょう。ありがとう」と、メモをくれた見知らぬ男性へのメッセージを綴った。
心に傷を負う者同士の励まし合いに約29,000人のユーザーが感動。「ほっこりする」「いい人だ。頑張れ」「私もここからあなたの生活がどんどん良くなることを祈ってます」などのコメントが寄せられた。≫
このニュースにぼくも感動です。明日からの生活の力になります。そして寒さに向かうこれからの季節、小さな蜂さんたちも頑張ろう。ぼくも頑張る。                 

2019年9月30日月曜日

世界の始まり 創世記に学ぶ

                         

ヘンリー・M.モリス著「世界の始まり-創世記1-11章を科学から見る」をアマゾン経由で購入した。この本を知ったのはアメリカのJon Courson牧師の説教の中で紹介していたからである。
聖書の記述を文字通りに神の啓示の書として受け止める信仰に、わたしは聖書神学を深める中で持つようになっている。神学校時代は違った。学生の頃はドイツの神学者たちの神学書を読み、言わば自由主義神学の立場で、聖書のことばをとらえ、解釈学に走っていた。
しかし、ここ数年は日本ではファーベストタイムの中川健一牧師、そしてアメリカではpastor Jonの解説に共感することが多く、素直に聖書の御言葉に向き合うようになり、自分の信仰が急速に進んだように感じている。
そんな中で、科学から考察したモリス博士の書は、まだこれから読むことになるが、期待するところが多い。このブログで、要点を今後紹介できればと思っている。
                        
英語原本に以下のような紹介文がありました。
In The Genesis Record , the reader is conducted by a capable guide through the important corridors of earth's early history, providing the background so necessary in understanding all of Scripture.
創世記の記録は、創造論者の科学者によって書かれた創世記の完全な解説です。
重要な詩ごとの分析ではなく、物語の解説として書かれています(すべての重要な歴史的および科学的問題に関する議論は物語に織り込まれていますが)、 創世記の記録は神学的に訓練された人にも素人にも等しく有用です。
モリス博士は、創世記の最初の11章は残りの39章と同じくらい歴史があると確信しています。 この信念は、単に信仰だけでなく、創世記の科学的側面の長年の研究と、他の多くの科学者や神学者(創​​造論者と進化論者の両方)との意見交換に基づいています。創世記の記録では、読者は地球の初期の歴史の重要な回廊を通して有能なガイドによって行われ、聖書のすべてを理解するのに必要な背景を提供します。


2019年9月16日月曜日

彼の手はム語りつぐ

                   
安曇野図書館の外国の絵本コーナーで目にしたのが、この絵本「彼の手は語りつぐ Pink and Say 絵と文 Patorisia Polacco」である。

大型絵本であり絵もいい。この作品の舞台は、1861年~1865年に行われたアメリカの南北戦争です。おなじアメリカ人同士が血を流しあった戦争でした。

奴隷制度廃止をかかげる、リンカーン側の北軍に属した白人と黒人の少年兵の出会いから始まる実話が、子へそして孫娘へと語り継がれ、その語り継がれた内容を重視して文が書かれ、絵が描かれ一冊の絵本になった。

二人の少年は敵の南軍に捕らえられ、引き裂かれる時、白人少年セイの手を握ろうと、黒人少年セイは手を伸ばす、そのセイの手はリンカーンと握手したことの手でした。

この著者はぼくと同じ1944年に、ミシガン州ランシング生まれである。日曜礼拝の中で、子どもタイムで、みんなに読み聞かせしようと思っている。
                   



2019年8月24日土曜日

「大草原の小さな家」第12話「ジョーンズおじさんの鐘」/ The Voice of Tinker Jones

                 
まだ五人の我が子たちが幼かった時、古い教会の部屋で一緒に観ていたnhk「大草原の家」シリーズが、今度は土曜日の午前八時半かnhkBSで再放送されている。
今日は第12話「ジョーンズおじさんの鐘」だった。わたしには忘れられない話だった。

要点は「教会に鐘をつける話が持ち上がり、献金を募ることになります。ところがオルソン夫人が鐘を寄付すると言い出したことから騒ぎが起こります。と言うのも、その鐘には寄付者の名入りの額がつくというからです。信者達は賛成派、反対派に割れ、相談のために集会を開いても話はこじれるばかり。大人のいがみあいは子供たちまで影響し今までのように仲良く遊べなくなります……」。結末がなんともいい。

この話はぼくの中で生き続け、古くなった園舎、そして会堂を新しい現在の教会堂に建て替える時、卒園生に呼び掛けて、「こどもらの鐘」と名付けた鐘を会堂の玄関上の塔に付けることにしたのだ。

そして今、その鐘は毎週日曜日の礼拝を告げる鐘の音として、安曇野の空に響いている。そしてその時作った「子どもらの鐘」の讃美歌も会堂内に響いている。
                                                         

2019年8月12日月曜日

今年も日焼けで真っ黒の夏

                   
八月に入り青空と真っ白な巨大な入道雲の湧きあがる真夏日がやって来た。今年は梅雨の明けない七月は伊那では高遠のB&Gの室内プールで、安曇野では四賀村のやはりB&Gのプールで連日泳ぎ、少し最初から泳ぎ過ぎて筋肉痛が出て、夜によく眠れなくなり、七月二十六日に決めていた家族たちとの鯨波海岸の海水浴に、ぼくは行かずに犬たちと留守番することになった。
無理して行けないこともなかったが、行けば数キロは泳ぐことになり、ここは自制して夏の後半に泳力を蓄えたのだ。
そして数日ですっかり筋肉痛も治り、またまた毎日のプール通い。特に安曇野の穂高プールへは日曜日の礼拝後にも出掛け、泳ぎました。
犬のロッキーとは清流の中房川で気持ちよく泳ぎました。猛暑日になるとプールの水はぬるま湯のようになるが、中房川の清流は適度に冷たくて気持ちよく泳げます。
さあ、日本列島は「お盆」ということで、故郷や生家に人々が集まる時です。我が家はキリスト教ですから仏壇もなく、墓参りもしません。
そこで、我がファミリーは、みんなで駒ケ根の太田切川の清流へ川遊びに出かけます。焼き肉やスイカ持参です。犬たちももちろん参加。
しかし、今年も良く焼けたなー、鏡をのぞくたびに思います。
日曜礼拝では、週ごとに黒さを増す牧師であるぼくの顔を、「あー夏の礼拝だなー」と、庭の三本の桜の樹で猛烈に鳴く蝉の声と相まって感じているに違いありません。
                     

2019年7月23日火曜日

眠れぬ夜に藤沢周平作品二冊

                    
プールでの泳ぎ過ぎがたたり両足のふくらはぎから尻への付け根にかけて、強度の筋肉痛が起こり、一昨日の夜と昨日の夜はよく眠れていない。
そこで藤沢周平作品の中から、まだ読んでいなかった「静かな木」と「雪明り」の二冊を選び夜の静けさの中で、読了した。
正確にはユーチューブの朗読版に耳を傾け、寝床の中で、藤沢作品の情景描写に引き付けられ、まどろむことなく最後までイヤホーンで聞いてしまった。
「静かな木」はアマゾンの内容紹介には「藩の勘定方を退いてはや五年、孫左衛門もあと二年で還暦を迎える。城下の寺にたつ欅の大木に心ひかれた彼は、見あげるたびにわが身を重ね合せ、平穏であるべき老境の日々を想い描いていた。ところが……。舞台は東北の小藩、著者が数々の物語を紡ぎだしてきた、かの海坂。澹々としたなかに気迫あり、滑稽味もある練達の筆がとらえた人の世の哀歓。藤沢周平最晩年の境地を伝える作品」とあったが、大きな欅の木に自分の人生を重ね、また夕暮れて行く情景描写はさすがであると感じた。そして主人公に孫娘が誕生し、ついそちらの方へ足の向く情景が、同じ晩年を生きるぼくの心をとらえた。
「雪明り」の方も書き出しからして、雪が降り始める描写に引き込まれた。内容紹介には「貧しくも、明日への夢を持って健気に生きる女。深い心の闇を抱えて世間の片隅にうずくまる博徒。武家社会の終焉を予感する武士の慨嘆。立場、事情はさまざまでも、己の世界を懸命に生きる人々を、善人も、悪人も優しく見つめる著者の目が全編を貫き、巧みな構成と鮮やかな結末とあいまった魅惑の作品」とあった。
この筋肉痛は七日ほどに渡って、毎日ニキロほどを泳いだ結果であり、歳も考えずにオーバーワークであったのだ。ここ何日かは梅雨が明けたとしても泳ぎはひかえようと思っている。今朝は肩のあたりもやや痛む。家に置いてあった張り薬は、あちこちに何枚も張るので、終わってしまった。まあ、今よりひどくなったら医者に行って張り薬を補充しなければなるまい。薬局でまともに買ったらかなりの額になりそうだ。
しかし、筋肉痛のおかげで、深夜に藤沢周平作品に触れることが出来、これはこれで素晴らしい体験となっている。
                 


2019年7月13日土曜日

サリバン先生とヘレン

                  
安曇野市図書館から借りて来た「サリバン先生とヘレン」(光村教育図書)は的確な要約であり絵もいい。明日の教会礼拝で「子どもタイム」に教材として紹介しようと思っている。
この本の「はじめに」では概要が紹介されている。そして絵本の本文の方は、サリバン先生がヘレンの家を訪れた三日後から教育の内容を手紙につずり、サリバン先生が母親の様に慕うソフィア・C・ホプクンス夫人(サリバンがお世話になった盲学校の寮母)に宛てた内容を順次紹介しつつ記されている。

このサリバン先生とヘレンの講演をユーチューブで観られます。検索で「ヘレンケラーの肉声」と入力すると見られます(ライオンズクラブ国際大会でのスピーチ)。
この講演の中でヘレンケラーが発した「指言葉により、世界を知り、神を知ることが出来た」との言葉には感銘を受ける。
目が見えながら、聖書のイエスを見ず、耳が聞こえると言いながら、聖書の言葉に耳をかさない人々の何と多い日本であろう。ここにぼくの教会での使命がある。強く感じた。

闇の世界に救いの光が差し込み、ヘレンの魂は輝き始めたのです。ヨハネ福音書10章の生まれつき盲目であった男が、イエスによって癒された個所を礼拝で学んだばかりだったのでぼくは特に、感銘を受けた。もちろん以前からヘレンケラーについては知っていたし、井戸の冷たい水道水を手で受けた時、サリバン先生が指文字で知らせたwaterによってものには名前があることを知ったヘレンのことも知っていた。
しかし、改めてこの本は子どもから大人たちにぜひ一読をお薦めしたい。
                

日本キリスト教会 豊科教会 牧師丸山文雅

 〇豊科教会の礼拝は 日曜日午前10時15分からです。 〇礼拝前の9時45分~から30分間は、讃美歌をたくさん歌います。 〇どなたも自由に出席ください。場所はJR大糸線の豊科駅のすぐそばです。徒歩一分。 駐車場は広い庭をご利用下さい。礼拝が終わるのは11時前後です。礼拝後は、お茶...