2020年5月21日木曜日

白紙と思われていた死海文書の断片、肉眼では見えない文章発見

                                                         
写真をクリックして拡大するとヘブル語の一部が確かに見える。

 英マンチェスター大学が所蔵する「死海文書」の断片に、肉眼では見えない文章が書かれていることが明らかになった。これまで、同大所蔵の死海文書51点には何も書かれていないとみられていた。しかし特殊なカメラを利用した調査の結果、うち4点にヘブライ語やアラム語の判読可能な文章が含まれていることが判明した。死海文書はイエス・キリストの時代にさかのぼる最古のヘブライ語聖書写本などで構成されており、研究者は長年、より深い理解を目指して調査に取り組んできた。マンチェスター大の声明によると、最も内容が充実した断片には15~16文字からなる文章が4行書かれていた形跡がある。保存状況は部分的だが、「Shabbat(安息日)」の単語を明確に読み取ることができ、同大は「エゼキエル書46章1~3節に関連した文章の可能性があるとみている。

死海文書を巡っては最近、偽物と判明するケースも出ているが、今回の断片は本物で、ヨルダン川西岸のクムラン洞窟で死海文書が初めて発見された際に発掘された。ヨルダン政府は1950年代、これらの断片を英リーズ大の専門家ロナルド・リード氏に寄贈。リード氏は研究結果をまとめて発表したものの、文章の発見には至らなかった。一連のコレクションは97年にマンチェスター大に寄付されて以来、ほぼ手つかずの状態だったが、最近になってロンドン大学キングス・カレッジのジョーン・テイラー教授が調査に乗り出した。テイラー氏は断片のひとつに文字が書かれている可能性があるとみて、マルチスペクトル画像法による撮影を実施。すると、肉眼では見えなかった文章の存在が明らかになった。(5/21/2020 CNN)

   いやー、いいニュースだ!   死海文書のイザヤ書に続いて、これは大きな発見だと思う。神の民、イスラエル民族の大きな役割の一つは、ユダヤ人律法学者でキリスト者であるパウロが言っているように「神の言葉の管理者」としての役割を担ってきてが、ここにエゼキエル書の一部にしても、判読できる状態になったことは、聖書を神の言葉と信じる一牧師としてのわたしにも、今回の発見は大きな期待と喜びである。解読結果が待たれる。

2020年5月7日木曜日

爽やかな風の中で

連休は伊那高原の自宅で過ごした。庭の草刈りや小さな畑にプチトマトの苗を三本植えたり、家の周りの草取りもした。

そして今日の木曜日は安曇野の教会へ戻った。夕方か明日に、草刈り機で駐車場周辺の手入れをしようと思う。伊那から安曇野への道中では、途中で犬の散歩もし、新緑の季節の風に吹かれて、素晴らしい景色に心もなごみ解放感いっぱいであった。

鳶やアオサギ、白鷺、セキレイ、ウグイス(声だけ)などの野鳥の姿にも出会い、ロッキーは天竜川の流れで泳いだりもした。本当に良い季節になりました。


稲妻とプチトマト

                   

五月の連休の最終日、犬たちとの散歩の後、グリーンファームに寄り、プチトマトの苗を購入した。それを伊那の自宅庭に作った小さな畑に植えた。

犬たちとの散歩途中から雨が降り始め、苗を購入して駐車場へ戻る時、もの凄い雷鳴が響き渡った。繰り返し稲妻が走り、雷鳴が響き渡り、フロントガラスを激しい雨がうち叩いた。

それでも自宅に到着する頃には、雷鳴は遠のき、雨足もいくぶん衰えたので、妻と二人で小さな畑にプチトマトを三本植えた。ここ何年か、このプチトマトを植え、食べきれないほどの収穫を得ている。

明日、安曇野の教会へ戻り、教会の庭の小さな畑にも、同じプチトマトと、他にもキュウリ、ツルムラサキなどの野菜を植えることにしている。

今は小さな苗だけど、夏から初秋にかけて、大きく育ち、我が家の食卓にのぼることになる。人も皆、何かの実を実らせるために、激しい雷雨から始まったこれからの梅雨の季節に、そして、夏から初秋へと向かうのだ。
                    

2020年5月5日火曜日

ベルギーのヤングママに拍手

  

他のブログにも紹介したのですが、ここでも、紹介したいのが、今夜ぼくのEメールに配信された日本キリスト教団南信分区からの以下の内容です。日本から宣教師としてベルギーへ派遣された方が、ベルギーの今を報告した中から以下の部分にぼくは感動しました。

【今や世界中がコロナの話題ばかりですが、いかがお過ごしでしょうか。ベルギーではやっと一日の感染者数が500人前後と、ピーク時の3分の1程度に下がってきました。マクドナルドのドライブスルーが許可され、お子さんにせがまれたらしい、車を持っていないママさんが「段ボール」で車を作ってドライブスルーに乗り込むという珍事が発生したそうです。少し前なら3万円近い罰金に当たると見なされてもおかしくないことでしたが、警察も笑って身元確認だけで見逃してくれたとのこと。そんなニュースも笑いで受け入れられるだけの気持ちの余裕が戻ってきたように思えます。】

いやー、いいではないか!
この子は、きっと、この日の事を一生忘れないと思う。ぼくもマックは好きで、犬たちとの散歩の帰りに時々、マックに寄り、日本にマックの一号店が銀座に出来、大学生だったぼくは、日本人では最初の方の客の一人だ。その時の味のままの、100円マックを二個買って、犬たちと分けて食べる。この100円マックが無くなったら、マックに行くことは無くなる。最近はケチャップをケチる傾向が強い。ピクルスの味も、初期よりやや落ちる。まー、ジェネレーションの推移だな。
いずれにしてもダンボールで制作した車に子と乗り、マックに出かけたヤングママに拍手!
                     
追記
今朝(5月5日)この記事に関して、ネットで調べたら、同じベルギーのマックに、ダンボール制作の車で並ぶ写真があったので以下に載せておきます。この写真の解説には、「車以
外での外出を禁止されているベルギーで」とありました。この写真はヤングママと子どもではないみたいだが。あちこちでこんな光景が出て来たのかもしれない。


2020年4月30日木曜日

夏近し 二つの思い

                     


今日の伊那高原は日中に20度を越えて、風のない場所では25度近くになっていたようだ。これで川の水温も上がれば川泳ぎも可能となる。

伊那高原では、駒ケ根まで出かけて太田切川、安曇野では中房川ということになる。いずれも西山から流れ下る清流である。

毎年、初泳ぎは五月の連休明け頃となり、この時に犬のロッキーが気持ちよさそうに泳ぐのにつられぼくも飛び込むことになる。しかし、その冷たさに、直ぐ上がり、暑く熱した大石の上にへばりつくことになる。

どうだろう、コロナウイルスたちは、夏には姿を消してくれるだろうか。海にも行きたい。泳ぎの出来ない夏なんて考えられない。

 もう一つ英国の牧師 davidw pawsonの説教スタイルに感化を受け、視聴覚においても工夫しようと、夏を前に思い立ったのだ。

早速アマゾンで、三脚を3.400円で購入し(写真は黒だが、ぼくのは白)昨夜届いたのを組み立てた。次回説教から、地図や自分で描く絵などを一枚~二枚用意して説教に立体感というか、具体性を持たせたいと考えている。

子どもタイムでは、絵本やその他を教材にしたか、デビッド・パーソン牧師に影響され、踏み出すことにした。壁への映写方式も考えたが、このデビッド牧師の方法が、ぼくにはよさそうだ。さあ、この夏に向かってチャレンジだ。
                  




2020年4月20日月曜日

電子書籍の時代を歓迎する

                  
コロナウイルスで室内にいる時間が多くなる人々の、過ごし方の一つに読書があるが、書店に行かずネットで注文し、一分以内に電子書籍のファイルが、手元の端末に届き、直ぐ読み出せる利便性は高い。

それと私の場合、小さな文字より、自由に適度な大きさの文字に調節し、読める電子書籍はありがたい。本箱のような置き場もいらない。

今まで電子書籍版にしなかった作家や出版社も、今回電子書籍に踏み切るところも出て来て大いにわたしは賛成である。4月24日から、ミステリー作家の東野圭吾作品の何冊かが電子書籍で発売となるようだ。

そこで、彼の代表作といわれる一冊を購入することになりそうだ。それは「白夜」である。

書籍内容紹介に「1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々と浮かぶが、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と「容疑者」の娘・西本雪穂――暗い目をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別の道を歩んでいく。二人の周囲に見え隠れする、いくつもの恐るべき犯罪。だが、証拠は何もない。そして19年……。伏線が幾重にも張り巡らされた緻密なストーリー。壮大なスケールで描かれた、ミステリー史に燦然と輝く大人気作家の記念碑的傑作。」とある。楽しみである。


2020年4月8日水曜日

コロナウイルスの正体


安曇野にある豊科教会の庭の三本の桜が、今週末にはほぼ満開を迎える。例年より一週間程度早い気がする。
                    




さて、今、世界中を恐怖に陥れているコロナウイルスに関する記事が、朝日新聞DIGITAL版にあったので、その一部をここに載せておきたい。

青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さんが解説する「ウイルスとは何か、そしてわたしたちに感染するメカニズムはどうなっているのか」。

【ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。

今、世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルスは、目に見えないテロリストのように恐れられているが、一方的に襲撃してくるのではない。まず、ウイルス表面のたんぱく質が、細胞側にある血圧の調整に関わるたんぱく質と強力に結合する。これは偶然にも思えるが、ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とにはもともと友だち関係があったとも解釈できる。それだけではない。さらに細胞膜に存在する宿主のたんぱく質分解酵素が、ウイルスたんぱく質に近づいてきて、これを特別な位置で切断する。するとその断端が指先のようにするすると伸びて、ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ、ウイルスの内部の遺伝物質を細胞内に注入する。かくしてウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだが、それは宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。】

しかし、私の場合、いや、みんなもそうだと思うけれど、今回のコロナウイルスくんを、宿主の総元締めの私の許可なく招き入れてほしくないなあ。

しかし、考えて見れば、宿主の総元締めと言ったって、全部体たちにまかせて、このわたしは生きて来たし、今も生かされているわけだ。よくやってくれている自分の体に感謝こそすれ、文句なんか言えないよな。
                  

日本キリスト教会 豊科教会 牧師丸山文雅

 〇豊科教会の礼拝は 日曜日午前10時15分からです。 〇礼拝前の9時45分~から30分間は、讃美歌をたくさん歌います。 〇どなたも自由に出席ください。場所はJR大糸線の豊科駅のすぐそばです。徒歩一分。 駐車場は広い庭をご利用下さい。礼拝が終わるのは11時前後です。礼拝後は、お茶...