このワレンバーグのことを、ぼくはこの書を通して初めて知った。同じような働きをした海外駐在の外交官であった日本人の杉浦千畝は、リトアニアで1940年八月に、ビザと書類を英断によって発給し、約六千人のユダヤ人の命を救ったことは知っていた。
しかし、このワレンバーグの働きはさらなる驚きであり、感動する。終戦間際にソ連軍にドイツのスパイと間違われて逮捕され、それ以降の彼の消息はハッキリしない結末には、いろいろ考えさせられる。
だが、あの想像を絶する大虐殺から10万のユダヤ人を救った事実は残る。この本のタイトルにあるように「伝記 世界を変えた人々」の一人に違いない。
ぜひ、一人でも多くの人に一読をお薦めしたい。
この著書の85ページに、「ドイツ人たちが役人や権力者をとても尊重する傾向が強く、この当時の教育のあらゆる場で、権威をうやまうことをみっちりとしこまれていた」と記されています。
もう一点、終戦間際、彼はソビエト軍司令部に向かう。ユダヤ人たちの戦後支援の交渉に、スタッフたちの「危険だ!」という助言を振り切り、単身で出向いたのだ。ドイツの連中と交渉したのと同じスタイルで、多額の金と、宝石類、そして重要書類を大きなスーツケースに入れていたのだ。
33歳の若者の持つスツケースの中身を見て「こいつは、ドイツのスパイ」と思われたのだろう。
ソビエト人は「非常に疑り深い」という国民性を彼は見落としていたのではないだろうか。そうこの著者は書いている。
さて、日本人の国民性の特質はどうだろうか。みんながするからと、周囲の雰囲気に流される傾向が強いのではないだろうか。
この著書の85ページに、「ドイツ人たちが役人や権力者をとても尊重する傾向が強く、この当時の教育のあらゆる場で、権威をうやまうことをみっちりとしこまれていた」と記されています。
もう一点、終戦間際、彼はソビエト軍司令部に向かう。ユダヤ人たちの戦後支援の交渉に、スタッフたちの「危険だ!」という助言を振り切り、単身で出向いたのだ。ドイツの連中と交渉したのと同じスタイルで、多額の金と、宝石類、そして重要書類を大きなスーツケースに入れていたのだ。
33歳の若者の持つスツケースの中身を見て「こいつは、ドイツのスパイ」と思われたのだろう。
ソビエト人は「非常に疑り深い」という国民性を彼は見落としていたのではないだろうか。そうこの著者は書いている。
さて、日本人の国民性の特質はどうだろうか。みんながするからと、周囲の雰囲気に流される傾向が強いのではないだろうか。
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