2019年3月4日月曜日

島崎藤村

                 
安曇野市図書館から島崎藤村の伝記本を借りた。挿絵がたくさん入り、読みやすい伝記本である (信濃の伝記シリーズ3郷土出版社刊)。

わたしの高校時代の国語の教師馬場八之進先生は九十一歳の時に、わたしたちの同級会に出席して下さった。戦争で右腕を失い、国語の授業ではコツコツとチョークの音を響かせて黒板に左手で文字を書く姿が印象的だった。

クラス会の席で「先生は学生時代にどんな本を読んでいたんですか?」と聞くわたしに馬場先生は島崎藤村の作品をよく読んだと言った。

たまたま図書館で藤村の伝記本を目にして、すでに亡くなってしまった馬場先生の言葉を思い出し、借りて来た。またネットで藤村の生涯について調べると以下のような一文もあった。


「共立学校(現・開成高校の前身)など当時の進学予備校で学び、明治学院本科(明治学院大学の前身)入学。在学中は馬場孤蝶戸川秋骨北村季晴らと交友を結び、また共立学校時代の恩師の影響もありキリスト教洗礼を受ける。学生時代は西洋文学を読みふけり、また松尾芭蕉西行などの日本古典文学も読み漁った。」

「また教師時代に教え子の佐藤輔子を愛し、教師として自責のためキリスト教を棄教し、辞職する。その後は関西に遊び、吉村家に戻る。1894年(明治27年)に女学校へ復職したが、透谷が自殺。さらに兄・秀雄が水道鉄管に関連する不正疑惑のため収監され、翌年には輔子が病没。この年再び女学校を辞職し、この頃のことは後に『』で描かれる」。などの記事が見られた。

いいことも不道徳といわれることも、いろいろあるのが人生である。伝記は少年少女時代にいっぱい読むことによって、自分の人生の指標ともなる。わたしが勤務した大阪水上隣保館やバット博士記念ホームで出会った子どもたちに、安曇野の幼稚園で出会った多くの幼子たち(教え子たち)にも、いろいろな伝記本を手にして読んでほしいと思う。


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ふしぎな つうがくろ

  つうがくろでは、いろいろな事がある。一人ででかけると、途中で友達に出会う。小学生の頃をおもいだす。さあ、今日はどんな出来事や、自然の発見があるのか。