2021年8月15日日曜日

「義に飢え渇く」人々に救いはあるか


 連日の大雨で、安曇野の犀川や伊那の天竜川も氾濫の危険水域まで増水している。ぼくとロッキーが川下りするのに適した水位と水質に戻るのに何日か待たなければならない。今週末には暑さや夏空が戻り、水位も正常になったら、またロッキーと川下りを楽しみたいと思う。

ここに紹介した絵本は、図書館で目にして借りて来た。アメリカの黒人差別の中にあった少女が、自由に入れる場所、図書館に出かけた実話に基ずく絵本である。差別は受けた者でないと、その屈辱と悲しみは分らないだろう。義に飢え渇き、勇気と希望を失わず生きた黒人女性がアメリカにいたのだ。こうした差別はアメリカだけでなく、世界中に今もある。

ぼくの住む安曇野には、松本城時代、他府県に比べ、酷く高い年貢を要求され、農民は食べていけない、生活できない状態に追い込まれた。地元の多田加助 【ただ かすけ1639-1686年 】安曇野市三郷(中萱)生まれは、命を懸(か)けて農民の声を訴えた。

凶作と疫病により餓死者も出る中、松本城主、奉行所に五か条の訴状を提出して年貢の軽減を求めるが、叶わず、藩の欺きにより首謀者として加助以下8名がはりつけの刑に処せられた。その墓もある。


 

1684年(貞享元)、毎年続く凶作から農民の生活はごく貧しいものでした。農民の悲願を受けた庄屋の多田加助が年貢の軽減を長尾組の組手代に申し出ますが受け入れられず、松本藩に陳情したことによって、庄屋の身分を取り上げられます。


さらに2年後、凶作と疫病が同時に民を襲い、餓死者も出たために、加助は近くの神社(現在もある)の拝殿で12人の密議のうえ年貢軽減の「5カ条の訴状」を松本城下郡奉行に提出します。このことを知った松本平の1万人もの農民が、竹槍をもって城に押し寄せる騒ぎにもなったのです。

聖書には「義に飢え渇く者たちは幸いである」と のイエスの言葉がある。正義を求めても時代の権力者たちに得られない時、人は何処に訴えたらいいのか。

松本城時代、義に飢え渇いた多田加助たちの声は、たとえ殺されても、歴史の闇の中に消え去っていくのではなく、天に届いている。歴史としてただ流され消え去るだけではないと聖書は明確に語る。正しい裁きの時が必ず来るのだ。

死んだ後では遅いと思う。殺された後では遅いと思う。しかし、「義に飢え渇く者たちは幸いである」とイエスは明確に語った。裁きと救いは時を越えて必ずある。これが聖書信仰である。

安曇野にある多田嘉助記念館に、ぜひ足を運んでみましょう。松本城見学もいいが、「義に飢え渇き」農民たちと共に苦しみ、そして命を落としていった義人たちにこそ、心を向けてほしい。
 


 

 

 

 

 

 

 

 

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ふしぎな つうがくろ

  つうがくろでは、いろいろな事がある。一人ででかけると、途中で友達に出会う。小学生の頃をおもいだす。さあ、今日はどんな出来事や、自然の発見があるのか。