2019年1月14日月曜日

強烈な画家 ゴッホとゴーギャン

ゴッホの最後の作品と言われる麦畑とカラスの絵
「伝道師として挫折した私は絵画を通じて、救い、救われたかった」。1880年(27歳)、ヴィンセント(ゴッホ)はテオへの手紙の中で画家を目指すことを告白し、取りつかれたように素描(デッサン)の特訓を開始する。父親が牧師だったゴッホは、自分も伝道師として人々に光を与えようと学習をはじめたが、出来なかった為、絵によって光を与えようとした。芸術はヴィンセントにとって「愛を訴える方法」だった。ゴッホの弟テオは兄の生活を助けるべく仕送りを始め、10年後に兄が自殺するまで毎月続けた。質素に暮らしていることを報告する為か「僕の主食は乾パンとジャガイモ、或いは街角で売っている栗だ」「4日間で23杯のコーヒー以外に殆ど何も食べなかった」と弟に書き送っている。テオが多忙で返事を書けないでいると「君が手紙を寄越さないのは僕が金をせびるのを警戒しているのか」と嫌味を書いたが、テオが表向きは親からの送金といって自腹を切っていたことを父より聞かされ、恥じ入ると共に「心から感謝しているし、君が(仕送りを)後悔しないよう決して期待を裏切らない」と誓った。

27歳から絵を描き始め、37歳でピストル自殺をするまでの10年間という短い歳月だが、強烈な作品を遺していることに感動を覚える。

ゴッホの弟テオからヴィンセント(ゴッホ)の死を知らされたゴーギャンはすぐに追悼の手紙を書いた。「痛ましい知らせを受け取り、深い悲しみに沈んでいます。このようなときに、月並みなお悔やみの言葉をかけるつもりはありません。あなたもご承知のように、彼は誠実な友人でした。そして私たちの時代における数少ない本当の芸術家でした。作品の中に彼はずっと生き続けることでしょう。彼がいつも“岩はいずれ砕けるが言葉は残る”と言っていたように。 私もこの眼と心で、作品の中の彼に会うつもりです~P.ゴーギャン」

このゴッホの友人であったゴーギャンもわたしを引き付ける画家である。ゴッホとゴーギャンに関する書を一度じっくり読んでみたいと思っている。
『黄色いキリストのある自画像』 ゴッホと別れた直後のゴーギャンの自画像






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ふしぎな つうがくろ

  つうがくろでは、いろいろな事がある。一人ででかけると、途中で友達に出会う。小学生の頃をおもいだす。さあ、今日はどんな出来事や、自然の発見があるのか。